インセクツで出版した書籍「MY FAVORITE ASIAN FOOD」で知ってから気になっていた台湾フードの「猪血糕(ジューシエガオ)」。もち米に豚の血を入れて固めた、屋台で食べられるおやつだ。
インセクツメンバーの台湾出身・簡さんにジューシエガオを日本で食べられるかを聞いてみると、新鮮な豚の血が売っていないから日本で食べるのは難しいかもと聞き、一度は食べるのを諦めたが、偶然幸運なことに大阪・新世界で提供しているお店を見つけた。
食べる機会があっさりと来てしまい、嬉しいような拍子抜けするような複雑な気持ちで店に向かった。店内は繁体字で書かれたメニュー看板や装飾品などに加えて、女子グループが楽しそうに中国語でおしゃべりする場面にも居合わせたので、すっかり台湾に来たような非日常感が味わえ、台湾フードを食べて満足感に満たされたが、理由のわからない虚しさも同時に感じた。
翌日会社で簡さんにジューシエガオを食べた話をすると、私が大阪で1000円で食べた分量は、台湾だと300円ほどで食べられると聞く。確かに屋台フードにしてはちょっと高いな…と思ったけど、ここは日本なのだから、台湾での値段と比較するのは野暮だと自分を納得させていたものが揺らぐ。
コロナ禍に入り気軽に旅行ができなくなってしまってから、家の中でも外でも「気軽に海外旅行ができない今だからこそ、国内で海外を楽しみましょう」というメッセージが強調されて目に入る。海外のものを日本円で買い、日本人向けにアレンジされた味や写真に映えそうな盛り付けの料理を、きれいに整えられた空間で食べる。まるで全てを用意された箱庭の中で、楽しい・美味しい・良いという前向きな感想を持たされているように感じてきた。
国内で楽しんできた外国の物たちは私を楽しませてくれたし、満足していた。その物自体への不満など一切なく、気軽に海外へ行けないことへの対処としては真っ当な方法だと思う。受け取り手である自身の心境の変化により、素直に受け入れることが難しくなってしまった。
気になっていたジューシエガオを食べて満たされた気持ちの影にあった、理由のわからない虚しさの正体がわかった。簡単に手に入ってしまうものの価値や経験は、ほんとうのものなのだろうか? と。
手に入れるまでの距離が遠いものほど、価値を感じる。それは対象への憧れ、手に入れるまでの時間で得られる想像をする余地、手に入れるための手間隙・努力が、いざ憧れに届いた時に、その物の価値に付加されるだろう。いや、もしかすると「なぁんだ、こんなものか」と、思ったよりは得られる価値が低いこともあるかもしれない。それでも、手に入るまでの過程を他人に御膳立てしてもらったものよりかは、自身で積み上げた方が大きな価値がある。
“ほんとうの” ジューシエガオを食べよう。台湾に行き、台湾通貨で支払って、台湾の空気の中で。
橋本麻里絵(デザイン)
ジューシエガオは全く血の味はしなくて、カリカリな表面を持つおもち。シェンスーチー(台湾唐揚げ)はとにかくふりかかる粉の旨さが台湾の味。台湾天ぷらは魚のすり身を揚げたもの。弾力あるモチモチ感が好き。これら揚げ物、あっさりした台湾ビールが合いすぎる
もち米をウインナーのような細長い形にし、ホットドッグバンズに見立てて、香腸(台湾のスパイスの入った甘めのウインナー)、高菜の漬物がサンドされている。モチモチのもち米の食感も、スパイスの効いた甘いウインナーも、しょっぱい高菜も何もかも完璧な組み合わせだ…