「緑の歌 -収集群風-」 (ビームコミックス 上下巻完結)
台湾出身の漫画家・イラストレーター、高妍(ガオ イェン)さんの初漫画連載がついに単行本にまとまって発売された。日本と台湾同時発売。
あらすじ
“好き”の気持ちに、国境はない。
はっぴいえんど『風をあつめて』。
村上春樹『海辺のカフカ』『ノルウェイの森』。
岩井俊二『リリイ・シュシュのすべて』。
ゆらゆら帝国『バンドをやってる友達』。台湾・台北で暮らす少女・緑(リュ)は、
月刊コミックビーム公式サイトより
日本の文化を通じて新しい世界と出逢う。
見たことのない景色。初めての感情。
そして不思議な少年と夢に。
まるで、風に吹かれるように。
これは音楽を愛し、
物語に救われたひとりの少女と、あなたの物語。
作者の高妍(ガオ イェン)さんが物語の冒頭をアップしているので、気になる方はぜひ読んでください。
この物語を読んだ後、あまりに世界観が良くて、心地よく胸がざわついた。そしてもっと世界観に浸りたくなり、台湾で同時発売された中国語版も手に入れてみた。台湾人の登場人物たちが中国語を話す絵が見たい。きっと日本語版とはまた違う印象を抱く予感がした。
日本語版で日本語を話す登場人物たちの口調はみんな、穏やかで優しそうな人柄が滲み出ているけど、中国語の原文からはどんな人物の印象がするのだろう? 知りたい。だけど中国語学習ビギナーの私には、中国語を話す彼らのセリフは所々しかわからないので、インセクツメンバーの台湾出身の中国語ネイティブ、簡さんに読み比べてもらった。
パラパラと読んだ印象では、どちらも人物像は変わらないとのことだった。では、登場人物の人柄や性格をセリフで書き分けたりは、どうやってするのかと疑問に思った。日本語には一人称の種類がたくさんあり、語尾や話し方の違いでキャラクターの性格を表すことができる。
そのような質問を簡さんに投げかけてわかったことは、そもそも中国語は日本語ほど話し言葉と書き言葉で大きく変わらないこと、教科書に載ってる文章は日常的に使うくらい、違いがない言葉だということだった。
ではどうやって登場人物の性格の違いを表すのか?使う単語などの選択だろうか。まだ食い下がって質問をする。
そして作中のセリフから気になったものを2つ例にして、登場人物のキャラクター性を考えてみた。
まず一つ目。メインの登場人物である「緑(リュ)」と「南峻(ナンジュン)」の2人が初めて出会い、自己紹介をするシーン。
緑:日本語「私…林 緑って言います。」
緑:中国語「我…我叫林綠。」南峻:日本語「僕の名前は 簡南峻」
「緑の歌 -収集群風-」上巻 P.70-73
南峻:中国語「我叫做 簡南峻。」
教科書に書かれる一般的な自己紹介文は「我叫○○(名前)」。南峻はなぜ少し違う言い方をしているのか、何が違うのか? を簡さんに聞くと、なんと説明をしていいのか、ものすごく悩んでいた。
「基本的には同じ意味だけど、「我叫做~」はほとんど言わない。「做」を入れると、少し丁寧になるかな…」
「南峻と申します、みたいな感じですか?」
「いや、そこまで丁寧ではない」
「南峻です、みたいな丁寧さ?」
「それもちがう。う~~~ん…」
ネイティブの感覚を説明してもらうのは、中々難しそうだった。私だって日本語のこのような質問をされても、感覚で使っている言い回しの違いを説明することは難しいだろう。
「この2人のシチュエーションで言うと、」簡さんは漫画のシーンを見ながら解説する。女の子の緑と、男子の南峻が初めて会って、お互いの名前を教え合う。
「「我叫做~」は少し丁寧さがでるから、初対面の女の子にこう言うことで、自分を良いように見せようとしてる感じ。」
南峻、微かな下心があったんだ…!「做」に込められた南峻の意図を知り、日本語版で物語を読み終えた時に抱いた、彼の人物像への違和感全てに合点がいった。南峻の緑への振る舞いの端端から感じる、天然たらし感がしていたのは間違い無かったのだった。
簡さんはさらに付け足す。「「我叫做~」は子どもがよく使う言い方かな。innocent」。
それを聞いた瞬間に、南峻の人物像の解像度が上がり、漫画の中国語版を手に入れた甲斐があった喜びで頭を抱える。
天然たらし感をまとう南峻は確かに、“innocent”の単語がベースにある人物だと思った。大学卒業後にバンド活動を諦めず、アルバイトをしながらも夢を追いかける生き方をしている時点で、その傾向を感じる。
長くなるので割愛するが、ぜひ漫画でinnocent南峻を見てほしい。
そして次に気になったセリフは、緑と南峻がやりとりを重ねるうちに、緑が南峻への好意を自覚するモノローグ。
緑:日本語「私 南峻が欲しい」
「緑の歌 -収集群風-」上巻 P.214
緑:中国語「我想要南峻。」
なかなか現実では言わないようなとてもストレートな表現に、日本語で読んだ時ドキッとしてしまった。中国語は日本語よりストレートに表現するというし、翻訳するとやはりこうなるのか。日本語では人に対して「欲しい」なんてあまり言わないかもしれないけれど、翻訳によって中国語の特徴が混じった日本語の違和感、良いなぁ…と噛み締めていた。
だが簡さんに中国語版を見てもらうと、「これは中国語でもストレートだよ(笑)」と笑っていたので、私は、緑の南峻へのどストレートな心境の吐露にドキドキしていただけだった。
「我叫做~」は子どもがよく使う言い方でinnocentだという話と、緑の頭の中での飾らない一番素直な言葉、「我想要南峻。」。この2つのセリフから、共通して2人ともinnocentなのでは、と結びつく。
緑はいつも恥ずかしそうにうつむくか、手で口元を隠して話す。20代大学生の緑よりも年上である30代の南峻への恋心にどう対応して良いのかわからず右往左往アップダウンをする様子や、「私 南峻が欲しい」と素直な言葉が出てしまう様子、初めて出会う日本の音楽カルチャーへの反応など、全てがinnocentだった。
作品全体に漂う甘酸っぱさや懐かしさ、未熟ゆえの魅力などの、惹かれる空気感の正体はこれだ、と点たちが繋がる光が見えた。はじめて物語を読み終えたときに、この世界に生きる人たちをもっと知りたいという気持ちが説明できないまま、居てもたってもいられない衝動で中国語版を手に入れた。終わってしまった物語に続きを見出したかった。そして違う言語で彼らに触れたことで、腑に落ちる解釈が手に入れられた。
私は子どもの頃からたくさん漫画を読み、好きなキャラクターの絵を描いたり、物語の続きを考えたり、友達と話し合ったりと、いろんな漫画の楽しみ方をしてきた。今回たった2つのセリフからだけでも中国語版と日本語版、両方を見比べることで人物像への理解が深まり、より楽しめた。
またひとつ、新しい漫画の楽しみ方を見つけられて嬉しい。これだから漫画読みは辞められない。
橋本麻里絵(デザイン)