誕生日を祝われるのが苦手な私、できればその日に一人で何も変わらずに過ごしたいという期待が毎年あって、この数年間、その期待に応られるように誕生日の祝いがないまま過ごした。一番理想的な誕生日の過ごし方は、誕生日以外の日として過ごすのだ。通常通りに仕事に行って、ご飯を作って食べて、寝て終わり。何故かというと、誕生日の主役としての立場だったら、お誕生日会の雰囲気にあまりなれてなくて、注視されることがすきではないので、楽しく感じるより、逆にプレッシャーになってしまうからだ。もちろん、祝われることはお祝いしてくれる人に感謝の気持ちを確実に持っている。とはいえ、誕生日の祝いシーンは日常になくしてほしいと思ったのだ。
そんなわけで、家族や親友がこんなにも誕生日が苦手な私をよく理解してくれているのは、ありがたいんことだ。お誕生日会みたいなことはいつもなかったり、食事会もなかったり、プレゼントもなかったり、今まで、そういう感じで誕生日を過ごした。「お誕生日おめでとう」というくらいのお祝いメッセージをもらえたら十分だと思っているので、その日にバースデーケーキを食べたのはもう十年以上の話かもしれない。そうであっても、全然寂しい気持ちになっていなかった。それより、楽な気持ちしかないのだ。お誕生日会もない、バースデーケーキもない人生は、最高だと思ってしまった。
お誕生日会もない、バースデーケーキもない人生を続けたらいいなと思っていたけど、最近少し変化してきた。日本人の友人が偶々私の誕生日を知っていたので、今までのようにバースデーケーキがない人生を続けられそうかな?と思っていた。ドキドキしていたら、誕生日の2週間前に友人からのメッセージが来て、「誕生日をお祝いしようね」というのだ。友人の為、10年以上ぶりに自分の誕生日にバースデーケーキを食べることができた。
どこの国でも、誕生日にバースデーケーキを食べることは普通だと思いますが、台湾も同じ。でも、祝い方に違いがある。バースデーソングを歌い終わったら、誕生日の主役がロウソクを吹き消す前に、来年にむけて三つ願望を言う風習がある為に、1つ目と2つ目の願い事をみんなに言い、3つ目の願いは大切に心に残す、という流れが基本のパターンだ。
もう一つ紹介したいのは、バースデーケーキを切る順番だ。願いを言い終わったら、ケーキを切っていくのですが、最初に切る人は絶対に誕生日の主役になっているというルールがあって、他の人が切ってしまうのは失礼にあたるのだ。2番目の人はだれでもいいけど、そこに集っている人の誕生日の順番に一人一切れで最後まで切る。そういう慣習が面白いと思っていた。大人数がいたら、一切れがだんだん薄くなっていく場合もある。ケーキを切るうちにみんながお互いに誕生日の話をしながら、愉しくできることだ。
誕生日をお祝いすることが好きな人のSNSをチェックしたら、誕生日のある月に違う友達と誕生日のお祝いすることがほとんど毎日あって、バースデーケーキを何個も食べたみたいなのがすごいなと思っていた。誕生日を祝うことがすごく好きなんだと思いながら、自分だと想像できない。
今後も、静かに誕生日を過ごせるよう目指して、バースデーケーキはなくてもいい。誕生日の日は、毎日と同じ日になるような過ごし方が、一番叶えたい願望でした。
簡 子傑(デザイン部。台湾出身)