イタリアが好きだ。ものすごくのんびりとしたペースで、語学クラスに週一度通い続けている。最近はイタリア語の原書を読む読書会に、月一度参加していることもあって、気持ちに余裕がある夜は、ソファに座って、辞書を片手にさまざまな年代の小説をちょっとずつ読み進めている。
先日、イタリア語クラスのメンバーが、ついにイタリア旅行に行くことが判明した。なんと、50日間シチリアへ行くという。羨ましすぎる。
私はシチリアには行ったことがないけれど、嬉しそうな彼の顔を見て、アマルフィやバーリ、プロチーダ島やナポリなど、南イタリアで見た景色を断片的に思い出し、初めてイタリアに着いた日のことを思い出した。
2007年。大学の研修旅行でギリシャからマケドニア、アルバニアへ向かい、そこから船でイタリアのナポリに入るという旅をした。
マケドニアまで順調に旅を楽しんできた私たちはすっかり上機嫌でバスに乗り込み、アルバニアへ向かった。そんな平和な空気も束の間、独裁政権が崩壊したらしいというニュース速報が入る。みんなどことなく神妙な空気になった。
アルバニアに着き、おそるおそるバスから降りる。街中はきれいで、決して商業都市のような豊かさはないが、治安が悪い様子もなかった。頭をかすめた荒れた雰囲気もなく、テレビや本の中で見るような貧しさもなさそうだ。アルバニアって、いったいどんなところなんだろう? 研修旅行に参加しているくせに事前の情報収集を怠ったため、全くわからない。歩き始めると、Tシャツと短パン姿の少年たちが「お金ちょうだい」というポーズをとりながら、後についてきた。本当にお金を必要としているのか、カモと思われているのか……申し訳ない面持ちで断ると、今度はずっと、あの狐のように目を細めたポーズをとって、後ろにくっついくる。どこまでもどこまでも・・・。
全く馴染むことができなかったアルバニア。当時まだアジア人が珍しく、行く先々に視線を感じる。たった1泊2日でも、ギリシャとマケドニアの旅との大きな差が私たちをどっと疲れさせた。自分たちを鼓舞するために、友人4人で当時大流行をしていた「千の風になって」を大熱唱しながら街を闊歩する。全然好きな曲ではなかったのに、その歌を歌うことで、日本というバリアを身にまとったような気持ちになった。
翌夕、アルバニアから出る大きなフェリーを前に、心はウキウキ。何も気にせずのびのびと過ごしても、お金をせがまれることはないし、眠りにつけば明日の朝にはナポリに着いている。
しかしお気楽な旅の再開は、まだ程遠かった。
それは乗船員の男性が、旅のメンバーである先輩を気に入ったことに始まる。まったく相手にされていないのに、めげずに何度も話しかけに行く彼。日本人から見ると、仕事はそっちのけ。さすがヨーロッパだね〜と他人事のように、ちょっぴり面白半分な気持ちで眺めていた。しかし彼女にあんまりにも相手にされないため、今度は彼女の宿泊室に押しかけようと思いついたらしく、仲間の乗船員とともに日本人の部屋を一部屋ずつ訪ねては、彼女の部屋がどこなのか聞きだそうとし始めた。廊下で私たちの顔を見かければ、情報収集のためにこちらに向かってくる。またここでも、追いかけられるなんて……! 部屋のドアをドンドンと叩く音。
恐るべし執念・・・。
「あの人に部屋番号を絶対に教えないで」と先輩から言われた私たちは、「急に宿泊室に入ってきて、問いただされたらどうしよう」「わからないと答えて、キレられたらどうしよう」と不安でいっぱいに。「きっと乗船員だから、鍵をかけてもドアを開けられるんじゃないか」と想像を膨らませ、まるで雪山で遭難した人たちかのように「絶対眠ってはいけない」と誓い合い、眠りに落ちないよう歩き続けなければ!!と、真っ暗な海の上を走る船のデッキを彷徨い続けた。こういう時、もし殺されたら・・・という発想まで出てきてしまうのは海外ドラマを見過ぎな故。暗闇は不安な気持ちをより一層加速させ、不必要なまで神経を張り巡らせた18歳の私たちは、この世の終わりのような気持ちになった。夜はいつも以上に、長くながく感じた。
明け方、デッキを何周も歩いた私は疲れ果て、船体の後ろにあるベンチに座った。友人の一人もやってきて、二人で目の前の景色を眺める。海と空しかないだだっ広い景色。
しばらくして、急に朝日が水平線に顔を出した。9月のカラッとした陽気の太陽は、思わず目を瞑りたくなる眩しさでデッキを照りつけはじめた。
「夜明けだ・・・!! 夜明けだ!」
二人で朝日を見ながら、興奮気味につぶやいた。そうだ、明けない夜はない。
「おーい、そろそろナポリに着くぞ〜」
後ろの方から、同行している先生の声が聞こえてきた。
先生、あんたが起きててくれたら私たちの不安は軽かったのにさ・・・
早々に就寝した先生は、スッキリした顔で気持ち良さそうに歩いている。
治安が悪い。スリに気を付けるように。
と、ガイドブックに散々書かれるナポリだが、全く怖くない。
イタリアよ、ありがとう。私たちをあの不安が詰まった船から救い出してくれて!
今となってはとても些細な出来事だけれど、イタリアに近づくとともに現れた太陽がくれた安堵は、眩しい光を伴って心の中に刻まれている。
この出来事で私は、イタリアに迎え入れられたような気が、ずっとしている。