最近いろんな人に好きな街、住んでいる街のことを聞く機会があり、自分の好きな街について考えている。みなさんは好きな街ってありますか?
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東京に帰る度、なぜか私はいつも下北沢に行ってしまう。
近くに行く用事があれば、たった30分でも電車を降りて、街を歩きたくなる。そして朝でも昼でも、夜でも、あの街に行くと必ずノスタルジックな気分になる。
その理由は一人暮らしをした街だから、深夜まで働いていた20代を過ごした街だから、とずっと思っていた。まさに私の青春の街、と思っていた。
下北に住んでいた頃は月刊誌の編集者として働いていた。校了したあと終電で下北まで帰り、「山角」で定食とレモンサワーを注文し、ほっとひと息をつく。
休みの日は午後に起きて街をふらつき、古着屋に行ったり、レンタルショップの「ドラマ」でDVDを借りたり、古本を漁る。
それから自転車で笹塚へ行ったり代々木上原へ行ったり、ふと思い立って友達に連絡して、三軒茶屋へ飲みに行ったり。深夜2時頃、人がほとんど歩いていない茶沢通りを歩いて、三軒茶屋から代沢5丁目のアパート「白石荘」に帰る(この名前も、とてもいいと思いませんか?)。
好きなお店があって好きな人たちと、時間を気にせず自由に過ごした街だから、下北沢が好きなのかもしれない。けれど、他の街でもそういう時間は過ごしている。同じ楽しさなのに下北と他の街ではどこか違う、だけどどこが違うのかはわからない。開発された駅前を見渡して、下北という街、とは?と考える。
こんな街が、大阪にもあったらいいのにな。
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先日久しぶりに、通っていた下北の美容室に行くと「下北は変わったよね~」という会話になった。この会話を今する人は多いだろう。そんな世間話の中で、美容師さんがさらりと言ったひと言に、私は私が下北沢を好きな理由がようやくわかったような気がする。
「もう、何してるかわかんないような人がいなくなっちゃったんだよね〜」
そういうことか。私が下北沢を好きな理由、ノスタルジックになる理由がやっとわかった。
一人暮らしをするよりもっと前、小学生の頃。初めての下北沢の記憶は、母と本多劇場で演劇を見たこと。
あるときは、初めての「スズナリ」で座布団に体育座りをし、緊張しすぎて早く終わらないかなと思った。
中学生になると、カラオケ館に行き、みんなで椎名林檎を歌ってプリクラを撮った。
高校生になると、西口のほうにも行くようになって、古着屋をまわってクレープを食べた。
その下北での思い出の端々に、本当に隅っこぐらいのレベルなのだけれど、確かに何をしているかよくわからない年齢不詳の大人たちの存在があった。渋谷や原宿、新宿ではあまり目にしなかった人たち。スーツを着ている人は皆無。子どもの私には、不思議な存在だった。
彼らには、生き急ぐように夢を追いかける空気はなく、ずっと自分のペースで夢を追いかけていいんだという空気があって、何にもしてなくてもいい、という許容があった(もちろんみんな真剣に生きてると思う)。今思うと、この街にいる人に平等に訪れるモラトリアムの象徴のように感じる。一人暮らしをする時に下北を選んだのは、会社からチャリで15分という近さもあったけれど、きっと、子どもの頃から見ていた「どこか変わっている」「よくわからない」大人たちの仲間に私も入りたかったのだと思う。
夢を持って自由に街に溜まる、あの人たちが好きだし、あの空気が今も好きだ。
今、下北を歩くと、あの子どもの頃から目にしていた、よくわからない大人たちは、おそらく開発とともにほとんど姿が見えなくなってしまった。
表情のない駅前。街と人は呼応していると考えさせられる。
それでも私は今も、よくわからない大人たちが生むあの街の空気を吸おうと、何度も下北沢に足を運んでしまう。
小島知世(編集)