最近は、大阪から北へ南へ、取材にPOPUP SHOPと長距離移動が短期間に発生している。東へ西へというと、例えば福岡、東京、間の名古屋も含め、都市間の移動ということになのだろうけど、大阪から北へ南へとなると、太平洋へか日本海へか、失礼を承知で言えば、何にしてもsuburbを超えて、ruralか?と、そんな土地へと行くことになる。
実際に行ったのは、蟹で有名な京丹後の間人と、近隣にみかんで有名な有田を有する和歌山の海南。ともに海が近く、漁業や漆や特産品がある土地だ。当然ながら、スカイスクレイパーと言えば聞こえがいいものの、無計画に建てられたタワマンが聳える大阪から向かうと、のどかで平屋の大きな民家が並ぶ集落に出る。
私は街で暮らし、貨幣経済にどっぷり浸かりながらも、実は田舎が好きな方だ。それは、私の幼少期の体験に由来する。私の母方の祖母は、奈良県の川上村の高原という“ド”がつくほどの田舎の人だ。嫁ぐときには、牛で家具を運んだそうだ。昭和であってもまだまだそんな土地に、小学生の頃には、毎年夏休みを過ごすために行っていた。余談だけれど、すでにその頃、私の家庭は崩壊しており、父と母の不仲は決定的だったようだ。
そんな人間の関係性などどこ吹く風で、田舎の空気は澄んでいて、何よりも水が綺麗な上、冷たかった。暑い8月でも冷蔵庫は要らず、川からの水を貯めた水槽に、祖母が育てたスイカやなんば(とうもろこし)、トマトにきゅうり、さまざまな野菜がキンキンに冷えていてそれらを丸かじりしたり、炭で焼いたり、牛肉もなければ、ファンシーな調理法で提供してくれるレストランはないけれど、そのまま食べるという野性味溢れるたまらなさが、子どもながらに楽しみだった。
五右衛門風呂、数百メートル先の人の会話も聞こえてくるくらいの静けさと遮蔽物の少なさ、さまざまな緑で構成された山の風景、婆ちゃんが畑で仕留めた蛇を軒先に干したもの。吉幾三の名曲「俺ら東京さ行くだ」に勝るとも劣らない山村だったけれど、毎年、そこで過ごす日々が訪れるのが待ち遠しかった。
だから、今でもたまに呼ばれたり、取材で訪れる田舎にワクワクする。そして、行く度に過去のそんな記憶が蘇る。歳を取ると尚のことかもしれない。それと同時に、IN/SECTS Vol. 0の取材で健一自然農園の伊川健一さんが言っていたことを思い出す。
「田舎には全部ある」
これは負け惜しみではなく、本当にそうだと思う。都会がどのように煌びやかになろうとも、得ることができない、田舎にしかない価値がある。理屈や貨幣に置き換えられない、体感する価値だ。山に登るとも、海で泳ぐとも違う、自然の中に人間の営みがあるからこそ、感じられる価値だと思う。そんなことを最近の長距離移動で改めて感じた。
2022年、祖母の家は誰も住んでおらず、五右衛門風呂は誰にも使われずにある。今年こそは、あの家を何か使えるように改修したい。ご興味ある方、ご連絡ください。
松村貴樹(インセクツ代表)