今の世の中、自分で選ばずともみる目のある誰かがセレクトしてくれているものがたくさんある(逆のものも然りだけれど)。それを買えばそれなりに見た目は保証されるし、不自由もなくやっていける。それが悪いとは言わないが、先日、四天王寺骨董市に行ったところ、自分の価値観を試されている感覚に陥った。お年寄りが大半を占める中、ぶらぶら歩いていると、段ボールに乱雑に詰め込まれた、お世辞にも古道具とは呼べない、もはやガラクタというものが並ぶ。中には若者、業者の出店もあり、整理されセレクトされた骨董品も並ぶ。しかし、おおよそ前者で、結構な高値がついていたものもあった。
そんな日の数日後、友人の写真家・佐伯慎亮さんの個展に足を運んだ。淡路島で暮らした約3年の写真は、どれも生っぽく、生きる人間を感じられるいい写真たちだった。それに何より、会場に集まっていた彼の家族の姿に、サヴァイブ能力の高さを強く感じさせられた。自分たちの価値基準、揺るぎない様をまざまざと見せつけられ、眩しくもあった。彼らからは、誤りも含め行動全てを引き受けているように思えた。
四天王寺での体験に翻ってみて、もの選びと人生と一緒にするのは、やや早計かもしれないが、間違ったときに間違いであると自認できる、全てを引き受けるには、自分で判断したり、価値観を形成するというプロセスが重要で、答えをすぐに得られるところでは、それらを形成することはできないと感じる。
用意されたところ場や状況からはみ出して、自身の感性を試す機会を得ることが必要なときにきていると強く思った。そしてまた、そういう自分が試される場が、まだ大阪にはあるのだと、少し嬉しくなった。
松村貴樹(インセクツ代表)