今回の「スピらずにスピる」ですが、前回の予告とは異なる内容でお届けします。
さて、この原稿と共に著者から一つ心配事がある、との連絡をもらいました。いつになく、神妙なメールの書き出しで、できればインセクツ社内の全員に読んでもらって、意見が聞きたいとのことでした。心配事というのは、これを読んだ人が自分の意図しない感情を抱き、思わぬ反応をしてしまうのではないか、というもの。
そのメールを読み、こちらも神妙な面持ちで送られてきた原稿をいつも以上に丁寧に読みました。その上で心配はないと感じました。と言ってもそれは私、そして、インセクツ編集部と著者であるモリテツヤさんが顔の見える関係性だから、ということもあるのかも知れません。
「スピらずにスピる」という絶妙な言葉、そして、本連載のタイトルを考え出した際に、これから綴られる話というのは、どこかで考えざるを得ないことだったようにも感じますし、その懸念はもしかするとこの連載を読んでいる方々の方が既にお気づきの点なのかも知れないとも思います。ですので、感想はお読みになった方々に託し、モリさんのこの状況をどのように感じるのか、編集部宛にメールなどで感想をお寄せいただけると嬉しいです。それでは、今回も「スピらずにスピる」どうぞ最後までお付き合いください。
「来るべきものが来ているんじゃないでしょうか。人間の物質的豊かさがピークに達して、ここでは満足できないと人々が思い出している。そうなると次はどうなるかと言うと、内側の世界の探究に入っていくと、いうことだと思うんですね」
これは1991年12月30日に放送された『TVタックル』(テレビ朝日系)でビートたけしと対談した麻原彰晃(オウム真理教教祖)の言葉だ。ドキリとした。この連載の序文を書いている時の自分の心情にそっくりだったからだ。昔、農業研修をしていた時、その農家のパートナー、Xさんにも指摘されたことがある。「あんたは紙一重で変なカルトにハマりそうだね」と。それは農業研修を申し込む時に僕が書いた熱烈な手紙を読んだXさんの感想でもあった。同僚の研修生はその話を横で聞いていて、後で「モリくん、そういうカルトにハマりそうな感じあるの?」と問われた。紙一重だという自覚はあると答えると、同僚は理解できないという感情と、軽蔑するような眼差しが混じったような表情で僕を見た。何故紙一重だと思っているのか、その場で弁明することができなかったが、心の中では「おれもあなたも同じ穴のムジナだよ」という気持ちがあった。カリスマ性を持った有機農家の家に自ら重労働を伴う住み込み研修を申し込むのは、今の社会そのものになんらかの違和感を感じているからで、別の生き方や価値観を創り出したいという願いをもっているからだ。ここに集っているという時点で、グル的なものを求めた人々という共通点がある。
こんなことを久しぶりに思い出したのは、小説家、宮内勝典氏の『善悪の彼岸へ』を読んだからだ。著者はカウンターカルチャー隆盛期の60年代のアメリカで青春を過ごし、自身もヒマラヤのアシュラムで修行をしたことのある文学者だ。以前、彼が書いた『ぼくは始祖鳥になりたい』という小説を読んだ。その小説の主人公はスプーン曲げのできる超能力少年だった。宮内氏は文学を通じて、この世界が目に見えるものだけの場ではないということを訴えていると感じた。この連載「スピらずにスピる」を進めるうえで、宮内勝典さんから学ぶべきところが大いにあるのではないかという気がずっとしていて、それで『善悪の彼岸へ』を手に取った。
『善悪の彼岸へ』はオウム真理教に関するノンフィクション・エッセイだ。冒頭、恐らく90年代の前半、アメリカの路上で出会った一人の日本人青年との顛末が記されている。青年は宮内氏にカウンターカルチャー時代のことをやたらと聞きたがり、普段はビートニクの詩やインド哲学の本を読むような真面目な人間だった。宮内氏は彼を自身と重ねて「かつての私たちがそうであったように、その青年も決定的な時流に乗り合わすことができなかった」と表現している。世間からズレて生きざるを得なかった人間だということだろう。僕もその一人だ。やがて、青年はオウム真理教に入信した。それを知った宮内氏は、教団の教義内容や発行物に目を通したのち、これは危ういと青年に説得を試みたとのことだ。教団の危うさに気づけたのは、宮内氏がその青年と同じ年齢の頃にインドの聖地やアシュラムを巡り、グルを探し歩き、幻滅する経験や、かすかな希望を抱いたりと、ひととおりの体験があるからだろう。説得の成果かどうかははっきり書かれていないが、結果的に青年は脱会したとのことだった。
青年はいわば、一周遅れのヒッピーだったのだろう。経験豊富で聡明な現役世代と出会い、カルトの道へ歩みを進めることはなかった。
また、別の青年との会話もこの本には記されている。その別の青年は、オウム真理教信者だった。テレビ番組を通じて信者と接する機会を得た宮内氏は、教団のビルへと取材へ向かい、青年と出会った。その箇所を引用する。
“「あなたが翻訳した『クリシュナムルティの日記』を読んだことがあるんですよ」
と言った。不思議だった。クリシュナムルティを読むほど知的な青年が、なぜ麻原彰晃に帰依してしまったのか解せなかった。オウムの信者たちは高学歴の若者が多いから、べつに驚くほどのことではないのかもしれない。だが、クリシュナムルティは誰よりも厳しく、グルイズムや教団を否定している。そしてデリケートな心の動き、意識について語ることが多い。体系化され、日々こわばっていく知や、わたしたちのルーティン化した思考のプロセスそのものを突き崩して、固着、固定しがちな〈自我〉を解体させようとする。グルへの絶対的な帰依を説く麻原とは、まったく逆のはずだ。
「きみは、なぜオウムに入信したんだ?」
本当のところを聞かせてくれないか、と私は改めて言った。わたしたちの世代が溝を彫り、次世代の意識の流れを変えよう試みてきた営みは、あっけなくオウムに敗れてしまったのか。麻原によって台なしにされてしまったのか。
青年はちょっと俊巡していたが、意を決したように、これまでの穏やかな表情をかなぐり捨てて、
「見てくださいよ、この日本を」
と、低く吐き捨てるように言った。それから顎を上げて、地上をざっと睥睨するように、問い返してきた。
「この日本に、なにがありますか?」
「………..」
とっさに答えようがなく黙っていると、
「金と、セックスと、食い物だけじゃないですか」
青年は軽蔑を隠さなかった。
「………」私はうなずいた。
地下鉄にサリンを撒くなど、無差別殺人は絶対に許しがたいけれど、この日本がどんな国であるか、そのことに関しては同意せざるを得なかった。若者たちがなぜオウム真理教に惹きつけられていったか、いちばん最初の原因を、これほど明快に述べた言葉はないと感じられた。”
出典:『善悪の彼岸へ』(集英社)宮内勝典 2000年
オウム真理教がテレビで騒がれていた当時、僕は小学生になるかならないかという年齢だった。テレビが伝える通り、頭のおかしな教祖が、謎の軍団を組織しているというふうにしか映らなかった。だが年を経て、改めて当時のオウム真理教の記録を読むと、やはり自分は紙一重だったなと感じる。そのことを、この書き出した箇所を読んだ時に改めて自覚した。社会に失望、あるいは怒りなどを持ち、もうひとつのオルタナティブへと歩みを進めていきたいという気持ちが強いほどに、この青年と自分自身とに通じるものを感じてしまうはずだ。僕はオウム以降を生きているから、日本全体にある「宗教・信仰は恐ろしいものである」という雰囲気のなかを生きてきた。アレルギーと呼べるほどの免疫が、オウム以降の日本には漂っている。そのことがブレーキとして働いている。だがそれ以前はどうだったか。地下鉄サリン事件以前、冒頭のTVタックルの中でビートたけし氏は「宗教からいちばん遠い人のような気もする。非常に科学的でもあるし。いちばん反宗教的なところから来た人のような」「面白いよなあ、麻原さんて……」と語っていたそうだ。スピリチュアル的なことを語る人を擁護する時、「あの人は科学的な人だよ。理系の人だよ」というようなことが言われる。だが、オウムの幹部たちは優秀な理系人間だった。科学に詳しいということと、宗教的なこととは反発しあうというのは誤った認識なのかもしれない。というより、それが科学的なアプローチであれ、精神的な体験によるアプローチであれ、「真実が分かった」と人が語る時、世界から未知と謎が消え去る。世界の構造を解き明かそうとするのが科学で、生きる意味を見つけ出そうとするのが宗教だ。しかし「どこまでいっても解き明かせないものがあるかもしれない」という、謙虚な空白を忘れてしまった時、科学も宗教も世界の構造を単純化し、奥行きのないものにする力にしかならない。
この本ではオウム以外にも、アメリカにあった人民寺院(1955-1978)という宗教団体についても触れている。ジム・ジョーンズという人物がつくった団体で、平等を説き、恵まれない人々に避難所を提供し、寄付も多く行なっていた。差別の激しい当時のアメリカ社会で、肌の色を問わず信者たちは共に働いたという。だが、やがてジム・ジョーンズは暴走し、最終的に918人もの集団自決を引き起こした。オウムも人民寺院も、共通するのは世界が破滅するという「終末論」を動力にしているという点だ。人民寺院が信者数を増やしていた時は冷戦の時代で、核戦争が起こりかねないという意識が人々の中にあった。アメリカでは自宅の庭や地下に核シェルターをつくるのが流行していたという。人々の危機意識と、ある種の予言をするカリスマが出会った時、集団は熱を帯びて渦を巻き、そして拡散していく。
僕は冷戦の時代の雰囲気を知らない。差別が今より激しい時代のアメリカで、黒人と白人が仲良くプールに入って泳いでいる風景(それは人民寺院の日常らしい)を目にした時に抱くであろう眩しさを知らない。やがて起きる人民寺院の未来の悲劇を知らない立場であったなら、その団体を「正しい」と判断してしまっていたかもしれない。過去の出来事を俯瞰して過ちを判断するのは容易いが、悲劇はいつも、まだ現実になっていない現時点からはじまる。その渦中に判断するのは難しいことだろう。
2023年現在、世界の破滅を想像するのは、かつてよりも容易くなっているかもしれない。経済破綻の可能性は日々肌感覚で感じる。自然災害は毎年どこかで甚大な被害が出ている。ロシアとウクライナでは戦争が続いている。日本は防衛費を上げ、敵基地攻撃能力を持つということになった。原発も新設されるらしい。自民党は統一教会という宗教団体とズブズブの関係だったということも露呈した。そしてコロナが始まって3年が経とうとしている。予言ではなく、実感を伴う未来予測として破滅をイメージしてしまう。混乱の時代だ。僕はこの混乱の時代に「正しさ」がどんどん記号化しているように感じている。それはシールのように、人物や物事に軽く貼り付けてしまえる「正しさ」だ。例えば、僕はコロナのワクチンを打っていない。この事実は、ある集団からすれば正しいのだろう。コロナウィルスも、それに対抗するワクチンも、なんらかの悪しき策略によって広められているという世界観を有する人からは正しい判断だと言われる。だが、僕はその世界観を持ってはいない。ただ居心地悪く、逡巡しているだけだ。本来であればもっと段階を踏んでから打たれるといわれているワクチンを、自分はまだ打てないというだけのことだ。自分自身の知識で、判断が適切だと思えるだけの蓄積がない。この心情を、例えばツイッターに呟いたらどうなってしまうのかと時々想像する。というよりここ数年、世界に対する自分の判断や心に浮かぶ情景をSNSに投稿するのをためらい続けている。投稿すれば、即座に正しさ、あるいは過ちのシールを貼られるのが予想されるからだ。1と0のどちらかで構成されるデジタルの世界に、どちらともいえないような空白のスペースを放つ場所はもうないのかもしれない。
こんなことを感じながら、僕はかつて連合赤軍が起こしたという「あさま山荘事件」と、その後衰退していったという左翼運動を思う。リアルタイムで経験していないし、詳しく調べてもいないから、たんなる憶測に過ぎないが、そこで起きていたのは思想的正しさの監視と裁き合いだったのではないか。今のSNSの世界に似ているのではないかと感じている。歴史は繰り返すというが、まったく同じ通りに再現されるわけではない。それは必ずしも大きな悲劇になるわけでもない。ただ、毎日のように誰かが袋叩きになっているのを見ながら、言葉や思想への期待が静かに萎れていくのを感じている。それはかつて学生運動に熱心だった人が味わっていたのと同じような心境なのかもしれない。そして同時に、自然回帰的な理想を持ち、精神世界を探究しながら共同体を築いた人々のことも思う。だが、共同体運動が難しかったのだということも歴史から学べる。そして90年代にオウムの事件が起きた。僕は、その後の世界を今生きている。今はSNS世界の言葉と思想による衝突が起き、統一教会という宗教の存在が露呈し、再び信仰や宗教への忌避感が溢れ出している時代だ。宮内勝典さんは繰り返し「ぼくがオウム事件の後にまず心配したのは、世の中の変革もだめ、精神性の探究もだめという反動で、若い人たちがニヒリズムに陥ってしまうことでした。」と語っている。
オウムに一度は入信し、その後脱退したアメリカで出会った青年が一周遅れのヒッピーとするならば、僕は三、四周遅れのヒッピーだ。理想に人生を懸けた人々の足跡の全てが伝説になったあとに生まれた。カルト入信は紙一重で免れている。それは、本と本屋という空間が青年にとっての宮内氏のように働いてくれているからだと思う。汽水空港に集まる本や人は、答えは教えてくれないが歴史を示してくれる。ニヒリズムには陥っていない。言葉や思想による社会変革は、それでもなお可能性があると思っているし、精神性の探究も可能性があるはずだと思う。共同体のカタチもひとつだけではない。様々なカタチがあるはずだ。大事なのは、先人の歩いた道を知り、別の道を切り開いていくことだ。本は轍を示し、僕はまだ歩かれていない道を知る。
そして新たな悲劇は、まだ歩かれていない道から生まれる。世の中の変革でもなく、精神性の探究でもない、まったく新しい「正しさ」を伴った「真実」から。それはまだ起こっておらず、名前もない出来事だ。僕は、その渦中にそのことを気付けるだろうか。
(前回の予告では、今回鳥の巣をつくるはずでしたが、つくる時間がありませんでした(笑) お金はあいかわらずありませんが、鬱の原因は金が無いということではなく、日本海側特有の冬の日照不足が原因でした。先日、瀬戸内海へ日光浴の小旅行へ行ったところ、身も心もたちまち元気になりました。鳥の巣についてはまたつくった時に書いてみようと思います。)
モリテツヤ(もり・てつや)
汽水空港店主。1986年北九州生まれ。インドネシアと千葉で過ごす。2011年に鳥取へ漂着。2015年から汽水空港という本屋を運営するほか、汽水空港ターミナル2と名付けた畑を「食える公園」として、訪れる人全てに実りを開放している。
この連載のバックナンバー
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「スピらずにスピる」序文
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第1回「神話≒ラグ」を編み直す
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第2回「絵を描くことと信仰」 特別インタビュー 阿部海太さん
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第3回「絵を描くことと信仰」 特別インタビュー 阿部海太さん(後編)
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連載「スピらずにスピる」5月休載のお知らせ
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連載「スピらずにスピる」8月休載のお知らせ
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第4回「カナルタ 螺旋状の夢」監督・太田光海さんに会いに行く(前編)
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第5回「カナルタ 螺旋状の夢」監督・太田光海さんに会いに行く(中編)
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第6回「カナルタ 螺旋状の夢」監督・太田光海さんに会いに行く(後編)
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第8回「あんたは紙一重で変なカルトにハマりそうだね」
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第7回「どのように金を稼ぐか/どのようにスピらずにスピるか」
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第9回「モリくんはクリスチャンにならへんの?」
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第10回「メタバースYAZAWA論」
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第11回「沼田和也牧師との出会い」(前編)
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第12回「沼田和也牧師との出会い」(後編)
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第13回「バースの儀式」