絵描き/絵本作家である阿部海太さんのことは以前から知っていて、絵本も汽水空港で仕入れていた。海太さんのつくる絵本は、言葉にすることが困難な感覚や人間の心の深い部分を描きだそうと試みているように感じていた。以前、本の注文を直接やり取りさせてもらった時に「スピらずにスピる」ということについてお互いに少しメールでやり取りしたこともあり、この連載が始まった時これは海太さんと会う良い口実が出来たなと思い、まずそのことが嬉しかった。
鳥取から海太さんの暮らす神戸の塩屋へクルマで向かった。ちなみに僕が「海太さん」と呼ぶのは、双子の兄である阿部航太さんとも知り合いだからだ。航太さんは『街は誰のもの?』というブラジルのグラフィティライター、スケーターを追ったドキュメンタリー映画を製作していて、つい最近汽水空港の近くにある映画館「jig theater」で一緒に上映企画をした。同じような時期に、双子の兄弟二人ともに会う。なんか、運命感じてスピっちゃいそう。
当初、「神話」についての話しを軸に海太さんと二人で語り合いたいと考えていたが、絵を通じて現そうとしている物事や、絵を描く時に起きていることを信仰とあわせて語るほうが海太さんとしてはしっくりくるということで、その方向で話しを進めることにした。
自分が真剣に考えたくて仕方のないテーマについて、話しを伺いたい人に会いにいき、記録することが今仕事になっている。自分にとって今、この連載は大学のように機能している。入試も学費もない。それどころか報酬をもらいながら本当に学びたいことを学ぶ。ユニバーシティに通うのではなく、このユニバース(世界全て)を学び舎とし、実践を通じて学ぶ。考える。そしてそれをまた人と共有する。そのように生きることができたら嬉しい。
海太さんはピンクの派手な羽織を纏っていた。塩屋は坂道の多い町で、丘から見下ろすと海が見える。町の斜面には緑がしぶとく残っていて視覚的にも町並みが気持ちよく、吹く風も爽やかだった。都市なのか田舎なのかよく分からない風景の中を、海太さんについて歩く。海太さんはメールでやり取りしていた文章よりもずっとフレンドリーな雰囲気で、僕はずっとなんだかジャミロクワイのボーカルに似てるなあと思っていた。今日は海太さんの自宅で話すことになっている。家にはまだ生後約2ヶ月のAちゃんがいるらしい。そんな中お邪魔していいのだろうかと最初は遠慮したが、海太さんのパートナー、千尋さんもみんなして「ご遠慮なく」と言ってくれたので、僕も妻のアキナ、息子のみちひとを連れてきた。今日は取材を終えたらそのまま阿部家に一泊する。
阿部家に到着し、お互いの赤子を愛でる。Aちゃんとみちひとは半年しか年が離れていないのに、新生児期間の赤ちゃんというのは本当に小さくて存在感が全然違う。数ヶ月前の我が子を思い出しながらAちゃんをジッと見ていた。2時間程ハッピータイムを味わったあと、「スピらずにスピる」の話しをはじめた。
*今回はほぼ会話の記録です。削る場所が見当たらずとても長いですが、良い記録になりました。阿部海太さんの作品とともに、ぼちぼち読んでもらえたら嬉しいです。
ドイツ、メキシコで絵を描く
モリテツヤ(以下:モ)
阿部海太(以下:ア)
モ:神話っていうのが「ラグ」としての原初の世界設定だろうということで『はじまりの見える世界の神話』の挿絵を担当した海太さんに今回対談を依頼した訳ですけど、メールでやり取りさせてもらった時に「絵を描くこと」と「信仰」とのつながりみたいなことにテーマを変えましょうと提案してもらいました。そこからのスタートにしましょう。「絵を描く」ということは描き手それぞれに技術の差はあるけど、「描く」ということは誰にでも開かれた行為、誰もができることですよね。その手段が海太さんにとっては「信仰」のようなものに通じるのだという、そのことを聞かせてもらえたら。なんか結局、信仰というかなんと言えばいいかまだ分かってないんですけど、そういうことをみんな心の底では求めてるんでしょ?って気がしてるんですよね。
ア:そういうことっていうのは「スピらずにスピる」ってこと?
モ:そうです。それを何と言えばいいか分からないけど、「心」とか「魂」とかの存在について。でも「魂」とか言い始めると、たちまち会話のシャッターを降ろされがちな気もしていて。その気持ちも分からなくはないけど、なんていうか「スピリチュアリティ」みたいなものに対して発言権を与えたいというのと同時に、そこに自己批判も無ければいけないということを自分に突きつけつつこのことを考えていきたいということなんです。
ア:絵のいいところって、「1人で描ける」ということがまずあるなあと思って。画材さえあれば。画材も選ばなければ鉛筆一本からでも良いし。静かな部屋と、自分と向き合う時間があれば絵は描けるんだよね。絵を描く時間というのは、日常に流れている他の時間とはまたちょっと種類の違う時間だと思っていて、それは絵だけが特別かどうかは分からないけど、絵には絵の時間、絵を描く時間っていうのがやっぱりあって。それはずっと変わらない、昔から続いてきている行為で。散々いろんなテクノロジーが発達してエンターテインメントだったり余暇を過ごすやり方も種類が増えていくなかで、未だに人が絵を描いているっていうのは、結構不思議な話やなあと自分でも思う。僕も小さい頃から絵を描くことが大好きで、漫画を描くことからはじまって、ちょっとずつ美術の勉強をしようと思ってからはちゃんと絵画始めたりとかして。やってるけど、ただただ好きでやってきたけど、なんでじゃあ自分が絵を描くのかなとか、なんで絵を描く時に自分は「幸せな気持ち」って言ったらヘンだけど、なんで自分が未だに絵を描くことをやめずに続けてるのかっていうことに対しては、どこかでずっと意味を探しているんですよね。学生の時まではただただ楽しいからやってたし、卒業して全然食えない時期も、とりあえず楽しいからバイトしてその合間で作品をつくるってことをずっとやれてきたんだけど、やっぱ30歳過ぎてくらいかなあ。僕は20代半ばくらいで東日本大震災があって、それまで僕は本当に世の中のことなんて何も考えないで、とりあえず好きなことをやっていれば済んでいたんだけど、だんだんやっぱり年齢を重ねるにつれてそれじゃ済まなくなってきたっていうか。ちょうど30歳くらいになった時に安保法制の国会前でのデモがあって、それに結構通って。原発事故があったりして世の中のことを少しずつ気にするようになって自分で初めてデモに参加するようになった。まあちょっと遅いかなあとは思ったんだけど。でもなんか、自分が長い時間の中に生きているんだなあっていうことを意識するようになった時に、改めてじゃあ「絵を描く」ってどういうことなんだろうなっていうのを考え始めたんですよね。僕は元々デザインを勉強したくて、大学はデザインを専攻してたんだけど、結局一人で手を汚して何かモノをつくることが楽しかったから、デザインはクライアントワークみたいに人から受注して仕事してっていうのがどうしても楽しくなさそうで、卒業してからは絵でいこうと思って。一回、ドイツに行ったんですよね。それはファインアートを勉強してなかったから、絵を描くうえで、まあ現代美術っていう世界があるんだけど、その世界でやる為には一度海外でちゃんとファインアートを勉強し直そうかと思ってドイツに行ったんだけど、結局大学入るのにうまくいかなくて、しかもあんまり自分の絵が現代アートの中でうまく見つけられないというか、ここで気持ちよく描けないなっていう印象があって、それで一年ベルリンにいたんだけど、たまたま叔母さんがメキシコに住んでいて、一年ベルリンで過ごしてヨーロッパはきっとどこ行っても変わらないだろうなって時に叔母さんから「部屋あるよ」って言われたけど、「今度はスペイン語かあ」って思いつつ、メキシコにも一年くらい行って。大学卒業してからも2年くらい海外に行って、で帰ってきてからすぐ震災があったんだよね。海外に居る間は結構なんていうかモラトリアムの時間だったんだけど、でも最初にそのドイツで西洋由来の美術っていうのをいろいろ見たり、その中で作品をつくったりして、で、そのあとに今度はメキシコは、一番南の、すぐ下に行けばグアテマラとの国境があるチアパスっていう州なんだけど、マヤの文化圏なんだよね。グアテマラと一緒で。で、インディアン、向こうの言葉で「インディヘナ」っていうんだけど、インディアンっていうのは蔑称だからインディヘナっていう言い方をするんだけど、そのインディヘナの人たちが結構近くに住んでいるような村だったんだよね。ちょっとバスに20分くらい乗っていけばそこにインディヘナの村があって、町にもよく織物とか有名だからそういうのを売ってるような人とかいるんだよね。初めてそういう人たちのつくったりしているモノを見たりして、凄い土の香りがしていいなあと思って。なんか西洋の構築されてきた美術の歴史っていうのしか知らなかったけど、それじゃなくてもっとこう土から立ち上るような表現っていうのを見て、こういうの凄いいいなと思って。でも、凄いいいなって思う一方で、でもそれは人のモノ(自分の文化ではない)じゃない? 結局は。これ僕のモノにはならないし、その時に「あぁ俺なんかなんにも根っこがないな」っていうか、どこで俺生まれ育ったのかなっていうことをそこで思うんだよね。で、思ったら自分は埼玉のベッドタウンの、バブルでつくられた新興住宅地ニュータウン建売の街で育ったっていうことをもう一回改めて気付くわけですよね。で、そこにはお祭りも無い。僕が引っ越してその年に小学校ができたような街だから、あるのは本当、町内会のバザーぐらい。そこには昔話をしてくれるような人もいないし、元々そこは里山を削ってつくったような街だから、なんにも根っこのないところで僕は生まれ育ったっていうことを気付くんだよね。で気付いたと同時に、人類学の本とかを読み始めるんですよね。最初に読んだのが「ピダハン–「言語本能」を超える文化と世界観」(ダニエル・L・エヴェレット著)だったんだけど。それでなんか、まあ震災があって、震災が起きてすぐは帰国したばかりだったから生活が成り立たないからアルバイトしなきゃって言って、アルバイトして。ヘトヘトになりながら絵を描くっていうだけで必死だったんだけど、だんだんなんかこう、いろいろメキシコで感じた問題みたいなものと震災とが合わさって、ちょっとずつ大きくなっていって。要するに自分が何の絵を描いたらいいのかっていうのが、一瞬分かんなくなっちゃったんだよね。で、分かんなくなって、探してた時間が結構あって、でもそのメキシコの経験とか、自分の育った場所になんにも無かったっていうのが、逆にこう「そこからやんないといけない」っていうか。でもそこからやんないといけないんだけど、結局自分の根っこを掬っても何も出てこない。出てこなかったらもっと下から掬うしかないってなってくると、今度はやっぱりもうちょっと、もっと深いところを掘らざるを得ないんですよね。街の歴史が無かったら、例えば日本の文化だったり、もっといえば世界がどうやって形成されてきたかっていう神話の話だったり。そのぐらいまで深い部分を掘れば、とりあえず僕が肌身を感じて生きてきた訳ではないが、まったく関係がないとは言えないっていうか。もっと深いところまで掘ればね。そこから作品をつくろうとし始めたっていうのがあるんですよ。ごめん、なんか一気に喋っちゃった。
モ:いやいや。でもなんか似たような道のりです。僕も。自分のことを迷子だなあと思ったんですよね。僕の場合はアジア学院っていう農業学校に震災前の一年間は滞在してボランティアしてたんだけど、アジア・アフリカ圈、南米やヨーロッパの人たちもいたけど、世界中各地の人々がやってきて、そこで一年間有機農法を学んで、そして学んだことをそれぞれの国に帰って自分たちのコミュニティに伝えるっていう、その為の学校なんですけど。自分は農業の勉強がしたくて、労働と引き換えに無償でそれが学べるっていうので滞在してたんです。
根なし草が本屋をやる
ア:でも元々は本屋をやる為なんでしょ? 死なない為の技術を得る為の。
モ:そうそう。だからそれ以前からずっと迷子だなあというのは思ってたんですけど、さらに迷子感が増したのは、アジア学院に来ていたいろんな世界各地から集まっていた人たちが「コミュニティ」っていう言葉をよく言うんですよね。国に帰れば自分のコミュニティがあるという意識が明確にあって。集まってる人たちっていうのは農村のリーダーみたいな人間とか、その候補みたいな人が来ているから、割と年齢は高めで。彼らはよく自分のコミュニティの話をしてくれるんですけど、自分の場合はそういうのが一切無いなあって思うんですよね。
ア:モリ君の実家のある千葉は、幕張は埋立地?
モ:住んでいる家がある場所はギリギリ埋立地ではないんだけど、でも幕張で生まれたわけではなくて、生まれは北九州なんですよね。北九州に10歳まで住んでいて、そのあとインドネシアに2年居て、それから幕張に行って。そんな感じであちこち転々としてたし、ふるさとみたいな場所が自分には無いんですよね。
ア:そのふるさとが無い問題って、僕らの同世代ではかなり共通のイシューだったりするよねきっと。もちろんふるさとを持ってる人も少なくないんだろうけど。でも一定数、時代の流れの中でふるさとが無いみたいな育ち方をした人っていうのは、僕らの世代はあるよね。
モ:今のこの経済システムの要請によって、根無し草になってる。そうしたふるさとが無いという自覚を覚えたうえで、僕の場合は二十歳くらいの頃に「懐かしい未来 ラダックから学ぶ」(ヘレナ・ノーバーグ=ホッジ著)っていう本と出合うんですけど。まあ、自分の話をしちゃうと長くなるんで、端折っちゃうと、ラダックっていうエリアに資本主義経済が導入される以前と以降を経験した言語学者の人が、その土地で起こったことを記録してるんですけど、近代というか現代社会の縮図みたいなものがそこに記録されてるわけです。この経済システムの要請のままに生活スタイルを沿わせていくとどうなるかが書いてあって、まあどんどん悲惨な環境になっていくんです。土地に値段がついたりとか、伝統が失われていったりとか。例えば「踊る」とか「歌う」ことが恥ずかしくなったりとかするんですよ。何故ならテレビでめちゃ上手い歌手が歌うのを見て比較しちゃうから。
ア:あー、それそういうことなのか。なんか僕映画の「カナルタ」(太田光海監督)で歌がずっと気になってたんだよね。あれが一番印象的で。下手っていったらあれだけど別に上手ではない人が凄い自然に歌うじゃない? 「あぁ、こういうの日本では無いな」って思ったんだよね。今聞いて、なんかやっと腑に落ちた。そういうことか。やっぱこっちがヘンなんだね。
モ:テレビでダンサーや歌手が表現しているのを見て「自分の歌や踊りはたいしたことない」って思ったりとか、ハリウッド映画を観始めたらやっぱりちょっとワルぶった振る舞い、レイバンのサングラスかけてタバコふかしたりとか。そういうことに憧れたり。それがかっこよく見えるから、自分たちの文化は恥ずかしくて、テレビで観る文化が良いんだっていうに影響されてしまう。
ア:観たらやっぱかっこよく見えるんだろうね。
モ:やっぱそういう、なんだろう。野蛮な振る舞いとか荒々しさに魅力を感じてしまう本能みたいなものも人間にはあるんじゃないかな。
ア:あるにはあるけど、表現方法としてそういうのが入ってくるってことだよね。ひとつのやり方として「レイバンのサングラスかけたらそうなれる」みたいな。
モ:それまで凄い素朴な優しい少年だったのが、数年後、再会した時にはヤンキーになってるわけですよ。で、いろんな病気が発生し、大らかだった人が金にがめつくなり…みたいな。いろんな文化が破壊されていくその様を読んで、あぁ、自分もこの流れの中にいるんだなって自覚したんです。日本という国にも恐らく同じことが起きていて、それがさらに進んだ地点に自分は生まれ落ちている。コミュニティもなく。じゃあ、自分はこれから先どうやって生きていこうか?という問いに行き着くわけです。で、自分の場合はこの問いをずっと考え続けていきたいしいろんな人と話したい、で、何か新たな別の文化みたいなのを編んでいくことはできないだろうかみたいなことを考えた時に、本屋っていうのが手段として自分に一番しっくりきて。だから、文化を編みたいみたいなことがあるから、ただ本を仕入れて売るっていうだけではちょっと物足りなくて、土から食べ物をつくるとか家も建てたいとか、人間がやってきたことを全部、この身体で味わいながらやっていくっていうのが、漠然と見えてきて、それを今やっているって感じなんですよね。
ア:本屋始める前にラダックの本を読んだんですね。
モ:そうなんです。
絵の中でトリップしたい
ア:じゃあ本当にそれがきっかけなんだ。自分でやりながら考えるっていうのが僕はなんか良いなって考えていて。僕は自然と、小さい頃から好きだった絵に向かったんだけど、でもモリ君と一緒で、やっぱサラリーマンになりたくなかったんだよね。親がサラリーマンやっていて、胃に穴開けながら仕事したりしていたりするから、反面教師的に「こうはなりたくない」って思って。仕事がつまらないって愚痴を聞いたりしたこともあったし。そういうのもあって。勉強もまったく出来ないわけじゃなかったけどそんなに好きではなかったから、わざわざ好きじゃない勉強をがんばって大学に行きたくないし。友達のお兄さんが美大に行ってるって話を聞いて「あぁそういうところがあるんだ」って勉強しはじめて美大に行って。あれ? 今何の話しようと思ってたんだっけ。あぁそう、自然と絵が好きで描いてたんだけど、やっぱずっと描いていると、なんかそこから物事を考えるっていう癖がついて。絵を描くということから。全て、絵が先行していきだすってことを最近はよく感じる。最近というか結構前からそういうことは感じてたけど、やっぱ絵が最初にあって、そのあとに技術がついてくるっていう順番があるわけだよね。なんとなく絵を描いたことが、例えば、なんだろう、うまく言えないんだけど、まあなんか、僕は絵を描く時に、絵本の場合はちょっと違うんだけど、いきなり描くんだよね。こういう絵を描こうと思って描かないで、とりあえず色とか乗せていきながら、なんかそこにカタチが現れてくるのを少し待つみたいな。で、一回現れてもそれが気に食わなかったらそれを消しながらまた違う絵が現れてくるのを待つっていうのを繰り返していって、ある時に絵が出来上がるわけだけど。なんかその時ってあんまり考えてない。で、なんかやっていくうちに気付くっていうことが多くて。そういう意味で、なるべく自分が知らないものを、知らないものっていう言い方はヘンだな。うーん。なんかずっと絵が先に行っちゃうんだよね。その後ろを自分は追いかけているっていうところがあって。絵も出来上がってしばらく経ったあとに「あ、この絵はこういうふうなことを描きたかったのかもしれない。」みたいなこととか。なんかそういうことがよくある。絵ってやっぱ不思議で描いた人が一番分かってるってこともないんだよね。描いた絵を飾って展覧会をやった時に、他の人が観て、自分以上に理解してくれているっていう時が結構ある。それは僕が見てる絵とは多分違うのかもしれないけども、凄く深く入り込んで自分の絵を捉えている姿を何度か観たことがあって、それは凄いおもしろいんだよね。絵のなんかちょっと、言ってみれば神秘的なところで。やっぱり言葉と違って意味がはっきりと無いぶん、いろんな見方ができるっていうのが絵の面白さだと思う。描いている本人も本当は分かってない。でもやっぱりその何かが出てくるんだよね。描くとね。もちろんこういう設計図みたいなのを描いて、こういう絵を描きます。これはこういうテーマでっていうふうにやる描き方ももちろんできるんだけど。やっぱりそうじゃなくてなんか僕は結局、絵の中でトリップ感を求めている。なんかこう、トリップするっていう感覚を絵にするわけじゃなくて、絵の中でトリップしたいんだよ。だからこう、何も考えないで描く。その時間がきっと特別なんだけど、だからやっぱり分かんないで描くっていうのがひとつあって、結局だから、そうだね、うーん、あんまり上手に言えないんだけど、うーん。なんか「降りてくる」とか言うじゃない? なんか本当にでも、そういうのはあるんだよね。それも結局過去からのいろんな積み重ねだったりとか、いろんな状況にたまたまピンとリンクする瞬間があったりとかするってことなのかもしれないけど。やっぱりその自分の考えを超えていく時っていうのが凄く表現としては良くなる時がある。
表現をするとき、自分ではまだ描いたら描いただけいいものができるわけじゃないっていうね、それはなんか僕の技術が劣ってるのか、それとも僕の絵に対する捉え方が間違ってるのかちょっと分かんないんだけど、描いたものを全て受け入れられないんだよね、まだ。例えば坂口恭平さんとかね、あの人が凄いなって思うのは描いた絵をジャッジしてないように見える。それがやっぱ凄いなって思っていて、それはひとつの境地だと思うんだよね。僕はやっぱりアカデミックな勉強をしてしまったっていうところもあって、どこかに良し悪しを客観的に判断しようとする欲みたいのをどうしても捨てきれなくて。結局それを自分で判断しようとしちゃう時がどうしても多いんだよね。それを僕はなんとかしてちょっとずつでいいから取り除きたいなって思っているんだけど。「絵に良い悪いなんかない」って言うでしょ? みんな。まあ、言うのは簡単なんだけど、僕も本当はそう思いたいけど、そう言いながら自分の絵を良い悪いって言ったりするわけ。今回は良い絵が描けたとか、ちょっとイマイチだったとか。やっぱだからそこはまだうまくそういうふうになれていない。そういうふうに「良い悪い」って言わない、良い悪いじゃない絵ってなんだろうってことを結構考えていて。子どもの絵って良い悪い言わないでしょみんな。子どもらしくていいねみたいな見方するけど、それは単純に絵の質や内容の素晴らしさというよりかは、絵を描く行為の尊さとか、絵っていうもの自体の良さ、それ自体を素直に大人は褒めることができる。単純に子どもの絵っていいよねって言えるとは思うんだけど、それがだんだん大人になっていくと描いた本人も良い悪いを気にしだすわけだよね。そこに何の変化があるんだろうってことは、多分いろんな人が本とかで書いているのかもしれないけど、やっぱりなんか大切なことがきっとあるんじゃないかと思う。
モ:さっき海太さんが「絵を描いてる時にトリップしたい」って、トリップしたことを描くのではなくてって言ったけど、描いた絵にジャッジしたくなるのは醒めてるからじゃないかと思う。
ア:そうだね。
モ:トリップ中というのはジャッジメントから解放された状態になるわけで、その状態になりたくてみんなトリップするんだと思うんですよね。自分のことを究極的に俯瞰して見るとか。自然の中に溶け出して一体化したいみたいな。でも、ずっとそこに人間は居れないから醒めちゃって、それで後で見た時にどうしてもジャッジしちゃう。でもまあそれもおもしろいなと思うんですよね。なんかそのジャッジっていうか、なんだろ、ジューシーじゃないですか。自分のつくったものや行為に苦々しく思ったりとかっていうのも。人生から溢れるものを味わうっていうか。
ア:結局は、今から子どもにはなれないっていうことは、受け入れなきゃいけないって思ってるの僕も。子どもみたいに描くっていうのはもう無理だっていうのは僕も思う。たまに大人で天才で子どもみたいに描く人いるけど、僕はちょっとそういうふうにはなってない。自分の感覚が。だから受け入れなきゃいけないんだけど、でも、一発逆転とかじゃなくて、ちょっとずつちょっとずつ、ジャッジしなくなっていけたらいいなっていうのはある。年をとりながら。一気に変わったらそこは多分何か逆の悪い意識が働いているってことだから、やっぱりちょっとずつそこを緩めていくってことは考えていきたいなって思ってはいる。なんか絵画の歴史って壁画とかから始まってて、やっぱり凄い古いんだけど、最近、絵で気になってることは、壁画の絵とか、なんかその儀式として使われていたとか、この本が結構おもしろいんだけど(「壁画洞窟の音 旧石器時代・音楽の源流をゆく」(土取利行著)を持ってくる)、土取利行っていう音楽家がいるんだけど知ってる? パーカッショニストなんだよね。フランスの有名な壁画洞窟をパーカッショニストが調査するんだけども、絵が描いてあるところっていうのが、音の響きが良いところなんだっていうことを研究者が突き止めていて、それはどういう意味があるかっていうと、例えばもっと描きやすい壁っていうのはあるわけ。でもそうじゃなくてもっと洞窟の奥のほうとか、あとはポイントポイントで描かれてるところで何か音を反響させると凄く音の響きが良いってことは、要するに音を使って何か儀式的なことをその壁画の前でやったのではないかっていう説があるわけ。前なんかツイッターか何かでも見たけど蝋燭の火を使って、その火が揺れたり消えたりするのに壁画の絵がちょっとアニメーションみたいに見えるとか。そういう効果があったんじゃないかとか、そういうことを研究してる人もいて。絵は絵として単体では無かったんだよね、きっと。なんかそういう特別な意味合いがあって、描かれてそこでなにか動的な時間を含めた何かそういうもっと総合的な芸術みたいなのがきっとあったんだよね。芸術っていう言葉はちょっと違うか。まあなんかその大切な時間が多分そこにはあったわけだよね。で、そういうふうに絵の役割みたいのがあって、だんだん神話とか宗教とかが出来てきて、権威を補強するような意味を持った絵画っていうのが花を開く。で、そのあとに絵画の文学的な意味合いとか、宗教的な意味合い、それらを剥いで、もっとそれ自体が絵画で価値があるんだっていうふうに言う人達が、今度は近代の美術をはじめる訳だよね。で、そういうふうにどんどん美術とか芸術っていうのが周りのものを剥ぎ取って剥ぎ取って、だんだんそれ自体が独立して出来てくるわけ。それが現代まで続いているっていうのが歴史として語られてきた。多分それは他のジャンルもそうで、哲学とか、科学とか、医学とか、そういうのもきっとみんな元々は宗教とか神話とかに全部入れこまれたものが分離して、そういうふうに芸術とかに分かれていったってだけの話だと思うんだけども、絵って役割が元々あったものから、役割が無くなり、絵自体の価値っていうのが確立されてきたわけなんだけども、なんか僕が最近凄く感じているのが、そういう美術が美術としてだけ生きた時代みたいなものが、またちょっとそこから変わってきてるのかなっていうのは思っていて。例えば現代アートって言われている世界も、もちろん社会問題も扱う作品って凄く多いんだけども、何年か前の愛知トリエンナーレっていう3年に一回やる芸術祭があって、表現の不自由展で結構話題になった年だけど、その時観に行ったんだけど移民の問題を扱った作品が爆発的に増えてたんだよね。それもその作品自体をしっかり作り込むっていうんじゃなくて素朴なインタビューを流しているような作品とか、なにか作家の主体性というよりかは、社会そのものを写し取るみたいな、そういう作品がすごく増えていて。どんどん直接的になってきてるような感じがしたんだよね。そういう時に、なんていうのかな、時代が本当に厳しくなってきているんだろうなっていうふうに思うわけ。美術を美術としてだけ味わうそういう余裕っていうのがあんまりもう残ってないんじゃないかなっていうことをちょっと考えているんだけど最近は。その時に、絵をただ絵として価値があるっていうふうに描き続けることが本当にできるのかなっていうのは、特にこのコロナ、戦争っていうのが続いている今本当に考えなきゃいけないってちょっと自分は思っていて。そういうふうに現代美術とかってやっぱり外側に何かリサーチをしたりとか、アンテナを張って何か作品をつくるっていうのはある意味もう、そういうことをずっとやってきた訳だけど、こと絵画においては結構そこがなんていうか保守的というか、凄く個人的な感覚っていうのを頼りにできちゃう分野なので、そういうものを本当に絵画自体は考えてきてないんじゃないかなっていうのは、なんとなく僕は思っていて。とはいえ僕、批評家じゃないのにこんなこと話していいのかな。
モリ:笑 いや、めっちゃおもしろいです。
ア:僕はそんなふうに今、考え始めて。元々はその宗教における絵画とかは祈りの対象になったりとかしたわけよね。イコン(*1)って言われるけども。なんかそこにはやっぱ祈りを受け止める役割っていうのがあったはずなんだよね。で、それをやっぱり剥いだことで芸術の、絵画の、その近代化されたいろんな表現っていうのがバーっと広がってそれはすごく価値のあることだったのかもしれないけど、なんか今その表現が広がったうえで、もう一回その祈りの対象とか、その的みたいなものになっていくことっていうのはできないのかな?っていうのも僕はちょっと考えていて。それは単純に僕が苦しいからなのかもしれないよね。やっぱり影響を受けづらいんだよね。一人で描けるんだよ、絵って。そんなに大きな設備も要らない。お金もかからない。で、世界がいろいろ揺れ動いていても、家の中が静かだったりすれば描けちゃうわけ。で、今回コロナ禍もあんまり影響受けなくて。一人でやれる。ずっとリモートワークだから。でもやっぱりその影響を受けれなかったことによって、本当にこれはこれで成り立ってるのかなって逆に思っちゃうんだよね。しかも今度戦争があって、絵が何を世にもたらしているのかっていうのが、それが決して大きくなくていいんだけど、うーん、そうだね、今絵を描くってどういうことなのかなっていうことを考えていると、なんか今すごい宗教のことが気になってしょうがない。うーん。
モ:それは「スピらずにスピる」の連載を書いてる僕からしたらとても聞きたいことですね。でもそれはずっと思ってたんですよね。芸術についてのちゃんとした教育みたいのを受けたことがない僕からすると、芸術っていうのは宗教とか祈りとかそういったもの全てを含めて芸術なんだと捉えてたんですよね。でも現代アートはそういったこととは切り離されているように見えて。僕は芸術という大きな枠組みがあって、その表現形態が様々にあると認識してたんですよね。それが音楽だったり、文学だったり、現代アートだったりするっていう。でも、なんか「現代アート≒芸術」みたいにアートが全ての芸術を包摂しているかのように語られていて、そこには祈りだとか宗教的なものだとかは既に剥ぎ取られているわけで、なんか倒錯しているように感じてたんですよね。だから今の話聞いて、やっぱそうっすよねって感じです。
→後半は、7月11日更新予定 乞うご期待!
阿部海太(あべ・かいた)
プロフィール
絵描き・絵本作家。1986年生まれ。埼玉出身。 東京藝術大学デザイン科卒業後、ドイツ、メキシコに渡る。2011年より東京にて絵画と絵本の制作を開始。翌2012年に本のインディペンデント・レーベル「Kite」を結成。2016年夏より拠点を神戸に移す。著書に「みち」(リトルモア)、「みずのこどもたち」(佼成出版社)、「めざめる」(あかね書房)、共著に「はじまりが見える 世界の神話」(創元社)がある。
モリテツヤ(もり・てつや)
汽水空港店主。1986年北九州生まれ。インドネシアと千葉で過ごす。2011年に鳥取へ漂着。2015年から汽水空港という本屋を運営するほか、汽水空港ターミナル2と名付けた畑を「食える公園」として、訪れる人全てに実りを開放している。
この連載のバックナンバー
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「スピらずにスピる」序文
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第1回「神話≒ラグ」を編み直す
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第2回「絵を描くことと信仰」 特別インタビュー 阿部海太さん
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第3回「絵を描くことと信仰」 特別インタビュー 阿部海太さん(後編)
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連載「スピらずにスピる」5月休載のお知らせ
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連載「スピらずにスピる」8月休載のお知らせ
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第4回「カナルタ 螺旋状の夢」監督・太田光海さんに会いに行く(前編)
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第5回「カナルタ 螺旋状の夢」監督・太田光海さんに会いに行く(中編)
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第6回「カナルタ 螺旋状の夢」監督・太田光海さんに会いに行く(後編)
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第8回「あんたは紙一重で変なカルトにハマりそうだね」
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第7回「どのように金を稼ぐか/どのようにスピらずにスピるか」
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第9回「モリくんはクリスチャンにならへんの?」
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第10回「メタバースYAZAWA論」
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第11回「沼田和也牧師との出会い」(前編)
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第12回「沼田和也牧師との出会い」(後編)
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第13回「バースの儀式」