第4回は、映像作家であり文化人類学者である太田光海さんに汽水空港のモリテツヤが会いに行くという、そんなお話。最初の2000字程度の約束などは何処へやら、今回も大作です。お楽しみください。
去年、「カナルタ 螺旋状の夢」(以下:「カナルタ」)というドキュメンタリー映画を観た。あらすじはこうだ。
“セバスティアンとパストーラは、エクアドル南部アマゾン熱帯雨林に住むシュアール族。かつて首狩り族として恐れられたシュアール族は、スペインによる植民地化後も武力征服されたことがない民族として知られる。口噛み酒を飲み交わしながら日々森に分け入り、生活の糧を得る一方で、彼らはアヤワスカをはじめとする覚醒植物がもたらす「ヴィジョン」や、自ら発見した薬草によって、柔軟に世界を把握していく。変化し続ける森との関係の中で、自己の存在を新たに紡ぎだしながら。しかし、ある日彼らに試練が訪れる…。”
というもの。
監督の太田光海さんは実際に現地で彼らと共に暮し、この映画を撮った。その試みは、僕の目にはジャングルという環境を足場にして編まれた彼らの文化(ラグ)を、太田さんが自分自身のラグを構成する一本の糸として獲得しようとした記録のように思えた。これは単に「異文化を観る人に届ける」為に撮られた映像ではなく、自分自身を変容させることを目的とした旅の記録なのではないかと感じた。そしてその変容への欲求は恐らく、この連載「スピらずにスピる」を通じて僕自身が求めているものと重なる部分があるのではないか。そのように思い、太田光海さんの元を訪ねた。場所は千葉県の田舎。映画「カナルタ」で観たような森の中で対談をした。
加えて言えば、ジャングルでの暮らし、そして精神世界へ深く入りこんだ体験は太田さんのラグにどのように影響しているのだろうか。彼の話を聞くことが、僕は自分にとって重要なことになるという予感があった。
話題は東日本大震災からスタートした。
第一部 編みこまれた各国のラグ 東日本大震災
太田光海(以下_太):2011年の7月くらいにフランスから日本に帰ってきて、怒り狂っていました。あの当時は。
モリテツヤ(以下_モ):「直ちに影響はありません」という枝野さんの言葉が、僕は悪魔の囁きに聞こえてました。
太:そうそうそう。怒り狂っていたし、若かったし。二十歳くらいだったので。めちゃくちゃ怒ってて。しかも、自分もそんなに詳しく知らなかったんですよ。原発の歴史とかそういうものを。だから、いろいろと調べていくうちに、原発だけの問題じゃない、例えばアメリカとの関係とか、そういうもっと巨大な資本の流れみたいなもの、それが自分たちの農業にも影響していたり。例えばモンサントがこういうことしている、とか、そもそも奴隷を使って綿花の栽培をしていたのが現代の服飾の基盤にあって、でもなぜヘンプは禁止なの? もしくは農薬まみれの綿より高いの? とか、いろいろなことが繋がっていって、俺らが金払っているこれって一体どこに行ってんの?っていう、あらゆる疑問が出てきて、自分にとっての世界地図が変わっていった数年間でしたね。
モ:そうですよね。僕は86年生まれなんですよね。太田さんは88年?
太:89年です。
モ:89年。
太:同じくらいな感じですよね。
モ:そうですね。僕もカッカ、カッカしてたんですよね、当時。で、まあ原発っていうのが自然の搾取とか人の破壊とか、そういうのを伴うということを前提で回す経済システムの象徴だと、今も僕は思うんですけど、それが壊れたことで、そうじゃないものを探っていく方向に向かわざるを得ないというか。「そうじゃないものを探れよ」って賢者たちはずっと言っていたけど、それが一般ピープルに突き付けられた感覚になって、それで「今すぐそれを始めよう」って言って、関東から西日本に行くわけですけど。やっぱり、そう思っているのは限りなく少ない人たちで、みんな延長上の日常を生きているわけですよね。原発事故以前・以後っていうのが、そこまで意識されていない感じを鳥取に暮らしながら感じていて。
太:なるほど。そこが僕は分からないですね。「なんで?」っていう。あれが起きて変わっていない理由が、ちょっと分からないですね。
モ:そうなんですけどね。それで、僕は本屋開業資金が初めからあったわけではないから、いろんな場所でバイトするんですよ。現場でいろんな人と日常で接しながら、休憩時間とかにいろいろな話をするんですけど、本当に世界観が違うんですよ。世界の認識の仕方が。政治への意見みたいなことを言っても、やっぱり「文句言うなよ」「安倍さん、頑張ってるじゃないか」みたいな。ていうか、田舎ってやっぱり自民党強いんですよね。
太:もちろんそうですよね。
モ:だから、自民党批判すると空気が悪くなるし、怒られるし、みたいな。そのあたりくらいから、なんかけっこう文化人類学みたいな、日本に生まれて日本人として生きているけど、全然世界の認識の仕方が違う。でもこの人たちと共に生きていく。そして、新たな文化を一緒に作っていかないと希望がない、みたいな風に考えるようになって、それで住む家を自分で建ててみたりとか、田畑をやったりとか、そういうことを通じて世界の認識の仕方とか、自分がどうやって生きていきたいかということを個人的に試し続けているという感じなんですね。それで、今回連載のチャンスをもらったから、いろいろな人と会って、自分が話を聞いて変わる様とか、太田さんは文化人類学者としていろいろな地へ赴いているし、「カナルタ」という映画も撮ってるし、その太田さんの「ラグ※序章参照」についての話、そのようなものを、どのようなルートをたどって、僕の言葉で言うとラグなんですけど、そのラグがどう編まれていったかとか、これからどういうラグを編もうとしているかとか、そういうことを聞けたらいいなぁと思って、今回依頼させてもらったということなんですよ。
太:ありがとうございます。光栄です。どういう風に進めていきます?
モ:なんとなくは考えてきたんですよね。僕、noteも読ませてもらったんですけど。
太:途中なんですよね(笑)
モ:途中ですよね。でも、幼少期から始まってるじゃないですか。
太:はい、幼少期から始まって、本編行ってないですよ、まだ(笑) 森に入ってない。
モ:でも、やっぱり「カナルタ」っていう映画は、単体の作品としても成立しているけど、「カナルタ」を語るには幼少期からの話も、太田さん自身と地続きのものだからこそ、幼少期から語り始めているんだろうなと僕は思うんですよね。だから、noteの第一話の始まりのあたりから、もうすでに異文化の中に生まれてたじゃないですか。
太:はい。そうですね。日本に対する違和感が、ずっとあったんですよ。
モ:それは海外生活を経験する前からあったんですか?
太:経験する前からありました。でも、どこの国に生まれてもあったかもしれないです、僕の場合。じゃあ、ヨーロッパに生まれていたら、何の違和感もなく過ごせていたかというと、たぶんどの文化にもある「これするのが当たり前だろ」「これを守っていないお前はいけない子だ」みたいなことを、何らかの文脈では言われるわけじゃないですか。たぶんそれについて、どこに生まれていても疑問を抱いていたんじゃないかなとは思いますけどね。特に日本ではそれが強いので。あと、自分で言うのもなんですけど、精神的に早熟なところがあったんですよ。親が二人とも学者というのもあって、まぁそれが関係あるか分からないですけど。妹は全然違うんで。
モ:サッカー大好きなんですよね。
太:妹は元プロサッカー選手っていう。全然違うんですけど。そういうところがあって、かなり小さい頃から冷静に周りを見ているという感覚があって、その時に周りの子どもたちや大人たちが理不尽なことをいろいろとしてくるわけじゃないですか。それに対して「なんだ、この社会は」ということを、ずっと思っていたんですよ。ていうのが根底にあります。
モ:僕からしたら、ラグの話で言ったら、たぶんラグを読み込んでいくと、それがその人の信仰的なもの・ゆるがない価値観・根っこになると思うんですけど、でもそのラグになぜ馴染めないか、俯瞰して見れるか、それがどこからやってきているかということも気になるんですよね。
太:すごく根源的な話をすると、僕は常に生命力に惹かれていたんですよ、子どもの頃から。あらゆる生き物から感じる生命の充実度のようなものに、ずっと惹かれていて、自分の中にも今のところずっとそれが燃えているという感覚がある。この「燃えている」という感覚を絶やしたくない。これを味わいつくしたいという感覚が、すごくプリミティブな衝動として、子どもの頃からあって、たぶんそれが一番重要なものなんですけど、それを邪魔してくるものがいっぱいあるんですよ。こうやって生きていると。それが何なのかってことは、子どもの頃はもちろん簡単には言語化できないんですけど、でもそれが侵されそうであるという感覚はあったんです。それに常に傷ついたり、反発したりしながら成長していった。
その時に、かなり話をとばすと、東日本大震災のようなことが起きた時に、それが頂点に達したわけですよ。自分が大事にしていた、それまでも大事にして生きてきたつもりだったんですけど、それがさらに自分の想像を超えたところから揺るがされるような、それは別に自分が生存する・しないの話ではなくて、もっと感覚的なもの。例えば、自分が繋がっていると思っているいろいろなもの、パレスチナのガザ地区の人が爆撃されてたくさんの人が亡くなっているというニュースが流れても傷つくし、アフガニスタンやイラクでアメリカが爆撃してというのにも傷ついてきたし、自分以外の存在との共感性みたいなものが常にあるとして、3.11というのはそれを極限までめちゃくちゃにされたわけですよ、感覚のレベルで。
だから、自分がどこに居ようが、その時はあまり関係がなかった。この粉々にされた自分が大事にしてきたものを、それでも今後も自分は生きていかなければならないとなった時に、自分が生きているうちに核爆弾とか原発を根絶できるとは正直思えていないですけど、でも何か次の世代に自分が残せるものがあるとしたら、それは何なんだろうっていうことを考え始めて、そこからですよね、だんだんと。やはり僕の世代的な特徴もあると思うんですけど、いわゆるデジタルネイティブ世代で、ミレニアル世代とも言われるじゃないですか。だから、ネット環境というのが当たり前にあって、惑星意識みたいなものが、すでにある世代なんですよ。ネットとかでいつでも繋がっている。十代の頃から早ければFacebookとか使っているような世代だったので。確かに日本で3.11は起きたけど、放射能の汚染は簡単に国境を越えますし、海流の汚染や、瓦礫がカリフォルニアまで行ったとかそういうニュースもあったじゃないですか、そういうのも平気で起きるし、という中で、自分の惑星意識の中で、日本だけの問題じゃないということにどうやって向き合って、なおかつ自分がやれることを表現できるのかって考えましたね。あの時思ったのが、ある意味で世界史的視点に立った時に、日本はその先端に来たんじゃないか、って。今後、世界的なカタストロフィがあらゆるレベルで起こっていくという時に、それを一番早い段階で惨劇として経験したのは自分たちなんじゃないかっていう風に思って。それもそれで世界に向けて伝えていく義務があるなと思いましたね。
モ:なんかほんと、そうで。京都でフランス人の建築家夫婦に出会ったんですよね。最近、日本に移り住んできたって言っていて。
太:あれ、俺も会ったかも。
モ:2M26っていうユニット名で活動している人たちなんですけど。「なんで日本に来たの?」って聞いたら、「日本は原発が爆発しているし、高齢化社会だし、世界の最先端。あらゆる問題が凝縮していて、この渦中を味わわないわけにはいかないだろう」と言っていて、その言葉を聞いて、自分がただただ生き延びるということじゃなくて、今だからこそ味わえるという、味わいたくないけど(笑)、体験することから知恵を編み出す必要があるんだろうと僕は思ったんですよね。
太:そうなんですよ。本当にそれはそうで。僕は震災の当時もパリにいたし、その後帰国したけど一年くらいたって、またすぐヨーロッパに戻るんです。その時、僕は正直難民みたいなつもりで行ったんですよ。次またいつ日本で原発が爆発するか分からないってなった時に、自分の身の安全も含めてヨーロッパに退避しておいたほうがいいって、そのぐらい考えて、日本に帰ってこないつもりだったんですよ。
でも、その中で思ったのは、三宅洋平さんや坂口恭平さんのような存在が日本でどんどん出てきて、彼らに続くモリテツヤさんのような存在の人とか、僕は最近知りましたけど、そういう新しい価値観でこの世界を生き抜いていこうとしている人たちがたくさん出てきていた。そして、あの彼らの感覚は当時のヨーロッパに全く無い感覚なんですね。
モ:あー、そうなんですね。
太:今でも絶対ないです。すごく特殊で。人類学の文脈で言うとマルセル・モースの概念で全的人間という概念があるんですよ。フランス語でいうとl’homme total 1 という概念なんですけど。岡本太郎がその概念からけっこう影響を受けていて、いかに全体的な人間として生きるかということを探求していて、岡本太郎はよく「僕は分業に反対なんだ」とか著作の中で言っているんですけど。けっこうそのリアルな形が、三宅洋平さんや坂口恭平さんから体現されているような感じがしたんですよね。彼らはもちろん自分も表現者でありながら、政治家でもあるし、知識をあらゆる手段を使って探求するし、本も読む・書く、発言する、しかも知識のソースを選ばない。
どこの学界に属しているからその専門知識があるとか、別にそういう話でもない。すごく多感覚的というか、いろいろな触手を伸ばしながら、いろいろな知識を集めて、それを自分なりにリミックスして、自分の生き方に生かすスタイル。これは長い間、3.11以前は理想とされてきた、頭がいい人は学問をやって、アーティストは作品を発表して、政治家は政治をして、みたいな、そういう分業とは全く違う生き方だったと思うんですよ。そういうのを外から見ていて、これは日本で新しい現象が始まってるぞ、と思っていたんです。
モ:そうなんですね。そういう人は、フランスやイギリスにはいなかったんですか?
太:どうしてもそこにある種のロマン主義が入ってしまうんですよね。だから「我々は安全なところにいて、近代の中に囲まれているけれども、それは本来の人間の姿ではない」という二項対立にして、無垢な状態で生きている人たちに対する憧れのようなものがあって、それを自分で実践しているという人はいると言えばいるんですけど。でも、そこにかけている切実さみたいなものは全然違う。日本でもそうかもしれないんですけど、シリアとかで爆撃があると、「私たちは文明国家の法治国家にいるから安全だけど、あの人たちはかわいそうだね」という目線とかがあるじゃないですか。ヨーロッパはそういう目線が今でも本当に強くて、でも僕の中では3.11以降にその視点が自分の中から消えたんですよ。自分はもはや安全なところにいる近代国家の人間じゃないから、常にそのせめぎ合いの中にいる。政府が何してくるか分からないっていう。
モ:その絶望感ありますよね。
太:そう。だから、何が急に明るみに出てもおかしくない、実はこんなところがものすごく汚染されていたけど隠蔽されていましたとか、平気で出てきておかしくないっていう危機感の中で生きているという意味では、ある意味そういう発展途上国と呼ばれるような国の人たちと同じようなメンタリティを持っていて。だから、その辺をいろいろと考えながら生きていて、それでも自分がヨーロッパに拘ったのは、新しいマインドで、新しい生き方を模索する人たちが日本で生まれてきていて、それがある意味で世界の最先端の感覚だとしたら、それはやっぱり伝えないといけない。外にも伝えないといけないと思っていて。世界を貫いている実際のシステムを作っているのは彼らなわけで。ヨーロッパの人たちなので。
「こうなってんの、あんたらも知っとけよ」ってことなんですよ(笑) そのためには僕は語学も得意だったし、人類学の道で国際的なキャリアというものを頑張れば積んでいけるような立ち位置にもいたので、それを究めつつ、別に日本の研究をするわけではないけれど、自分自身が抱えている新しい感覚というものを、人類学の一応世界最先端とされているような現場の中で、そのシステムを組み替えるような形で表現出来たら、世界的にもインパクトを与えられるんじゃないかなと当時は思って、頑張ってたんですよ。そんな甘くないんですけど(笑)
モ:僕は最近『気流の鳴る音』を読み直したんですけど、見田宗介さんて人の。あの人、最近亡くなっちゃって。見田さんは震災以前から、今僕が感じている「世界でいかに生きるべきか」みたいな問いを、見田さんは「切実な問い」という言葉を使うみたいなんですけど、その切実な問いを若い時から抱え続けていて。最近、大澤真幸さんが朝日新聞 2 で追悼文を寄せていたのを読んだんですけど、その文章で印象的だったし勇気づけられたのが、「見田さんの授業を受けて良かったのは、「生きるということと学ぶということが同一のものとして可能なんだ」ってことを伝えられた」と言っていて。それをやっていきたいなと僕も思うんですよね。
だけど、僕自身は今から大学に入って文化人類学を勉強するっていう感じでもないし、実際にこの生きているフィールドの中から、実際に小屋を建てたり、人と話したり、自民党大好きな田舎のおっちゃんと話したりとかする、その生活自体が学びとして、そこから知恵を編むというようなことをやっていきたいなって思ってて。
太:分かります。説明するの難しいですよね。自民党は僕も嫌いだったんですよ。今も政治的スタンスに全く賛同していないですけど、自民党好きな人が仮にいるとして、たぶん彼らと対決するような言葉遣いといいますか、そういうものを振りかざして「自民党は良くない」って、そこに対立が生まれて、というような関係の作り方自体を組み直していかなければいけないんだというのを、震災後数年でけっこう感じたんですよね。
モ:やっぱりそれは実際にリアルで生身の人とバチバチやって、疲れたみたいなことも?
太:バチバチもやって疲れたし、Twitterとかでもいろいろと激しかったじゃないですか、あの当時。それでも疲弊したし。なんていうんですかね、人間ってそれぞれその人がたどってきた人生があって、その中で得てきた情報とか知識とかに依存して、というか支えられて生きているじゃないですか。その過程でたまたま自民党というものが悪いものとして映っていなかっただけかもしれないんですよ。僕もそれと同じことが起きていて、他の政党がよく映っているかもしれないけど、一番大事なことはそこじゃない。すごい最初の根源に戻ると、「その人の生命力、人間として豊かな存在であるということを、こちらも感じて、その感覚を共有して、共存していく」ということが、一番自分にとって大事だっていうことに、改めて気づいて、それでそれをなんか邪魔しているものがあるな、と。自分のこの「自民党ファック」みたいな、「枝野ふざけんな」みたいな感覚が、それを邪魔しているとしたら、それはちょっと組み替えていく必要があるな、っていうのは感じました。
モ:僕もそうですね。
太:そこから徐々に行くわけです。アマゾンの森とか、そっちの方に。なんかそういう人間のものすごく根源的なレベルでの存在の豊かさみたいなものを、僕自身が感知するためには、全く別のレイヤーを、もっと低い段階で自分に仕込む必要があると。それこそラグの新しい縫い目の部分を、もうひとつ付け足さないと、このままでは「枝野サイテー」っていう、政治家とか党連に責任を押し付けて、「賠償金払え」とか「原発停止しろ」っていう、いやめっちゃ大事ですよ、それも大事なんですけど、それに賛同できない奴と闘う、みたいなこの構図から抜け出せないなって思って。
モ:そうですね。僕も日本にずっといるけど、同じようなルートをたどってますね。政治とか原発の意見の違いでバチバチやって、僕は僕で原発から遠く離れたところに逃げて。放射能の能を脳みその脳って書くバカにした呼び方があったじゃないですか。
太:あー、はいはい。
モ:そういう感じで見られているし。こっちはこっちで、それでも今の政治を信用しているという人たちをバカだなみたいに思っていたりしたけど、バチバチしすぎて、本当に疲れちゃったんですよね。もうその話したくない、みたいな。だから、リアルではそういう政治の話は一切しないっていう時期もあって、意見はTwitterで言う、みたいな。だけど、田舎で暮らしていて、憲法改正とかそういう問題がある時に国会前にいろいろな人たちが集結してデモをしている様子とかを、離れた地点でTwitter越しに眺めているんですよ。
それで、僕はこの田舎でどうやって政治にボールを投げかければいいか、そのボールが無い、投げる方法も無い、みたいな。やっぱり最終的には今、自分が暮らしている物理的に近い距離の人たちと話して、なんかいい方向に向かわなければいけないだろうってなって。その時に、ティム・インゴルドの本は唯一『人類学とは何か』3 だけ読んだんですけど。
太:僕も最近読みました。
モ:あ、ほんとですか。あれですごくいいのが「他者を真剣に受け取る」っていう言葉が、すごくグッときて。
太:いいですよね、あの言葉。
モ:だから、もはや迷子なんだろうな、と。僕も、自民党大好きって言ってる人も、日本に暮らしているほとんどの人が、信じるべきラグみたいなものを失っちゃっているから、一人ひとり違う文化を持っているんだろうって。信じていることも個別にバラバラじゃないですか、今って。だから自民党という世界観とか、この資本主義システムという世界観を信じることで生活できているっていう、それはその人の文化なんだとして、僕は僕の文化として、同じ日本人という民族でありながらもバラバラの迷子たちが、じゃあこれからどういう文化を作ろうかってことをやろう、っていう。さっきから同じ話ばかりしていますけど(笑)
まぁそういう感じなんですよね。それで、僕も精神世界のほうに興味が向かうわけなんですけど。今日、たどり着きたいのは、(太田さんから)メールの文章いただいた時に、アマゾンはアマゾンですごくロジカルな世界なんだと言っていたじゃないですか。そのロジックが、僕の捉えているラグなんじゃないかなと思っていて。だからラグ=ロジックみたいな感じで聞いて欲しいんですけど。太田さんは日本に生まれて、幼い頃から日本のロジックに違和感を持ちつつ、オランダへ行って、パリとかイギリスとか(に行って)、それで最近はアマゾンに行ったわけじゃないですか。その各土地のロジックによって編みこまれたラグの上に太田さんは立っていると。
太:めっちゃ立ってますね。すごく各土地から影響を受けていますね。
モ:今の太田さんにとって重要な意図として編みこまれている各土地のロジックの要素について聞きたいです。
太:なるほど。
1 Mauss,M.,”Les techniques du corps,”Sociologie et anthropologie, P.U.F, 1978, p.369 (M・モース1976「身体技法」『社会学と人類学Ⅱ』(有地亨・山口俊夫訳)弘文堂 p.128)
2 個人の切実さ、そのまま社会学の問い 見田宗介さんを悼む 社会学者・大澤真幸.朝日新聞.2022-04-14,朝日新聞デジタル,https://www.asahi.com/articles/DA3S15265170.html (最終閲覧 2022年8月20日)
3 ティム・インゴルド2020『人類学とは何か』(奥野克巳・宮崎幸子訳) 亜紀書房
太田光海のラグを探る オランダ編
太:じゃあまずオランダからにしましょうか。オランダはとにかく快活なんですよ、人が。すごく快活で、めちゃくちゃオープンなんですよ。本当にタブーがあまりない社会。元々、大麻の合法化とか、そういう面でも早いじゃないですか。ほとんど人工的に土地を作ったような国土の成り立ちがあるので、ある意味で究極のヒューマニズムなんですよね。良くも悪くも。自分たちが自分たちの存在自体を紡げるという。だから何かに対する畏怖やタブーは無くて、何でも言えるんですよ。極限のオープンな感じ。というのに、すごく影響を受けましたね。
あとはデザイン的な思考っていうんですかね。社会システムにしても社会保障の制度とか、いろいろなものに対して。このほうがみんなが気持ちよく過ごせるよね、っていう、例えば年金制度とかそういうものを、きっちり制度化していくっていう、そういう緻密さはすごくて。それが人々の意識の端々にあるんですよ。だからそういう中で過ごすと、やっぱりみんながちゃんと話し合って合点がいって、これっていい制度だよねっていうものは「これってやればよくない?」ってなるっていう、そういう感覚がすごく腑に落ちて、その中で投げかけられる議論の幅みたいなものは、すごく広くとっている。誰が何を言っても、「言う分には全然いいし」っていう、それをみんなで吟味して、より良いものに落とし込めるならいいじゃん、みたいな。そういうオープンさっていうのは、その時に身に付いたかなって思います。
モ:日本とけっこう真逆ですね。
太:相当真逆ですね。
モ:日本は決められたことをいかに自分に馴染ませられるかという、その技術を獲得させるじゃないですか。でも、オランダはルール自体をみんなが作るっていう世界観。
太:そうなんですよ。だから日本だと、何かで炎上したりした時、「ルールは守るべきだと思います」みたいなコメントとかあるじゃないですか。
モ:多いですよね。
太:「そのルール自体をあなたが変えられるんだよ」って俺は思うんですよ。だから、「あなたはどう思うの?」って、そういう感覚。「自分で別にルールは作れるし、変なルールだったら変えればいいんだよ、従う必要もないんだよ」っていう感覚。元々あるんですけど、それが社会全体として共有されているのがオランダだったかなと思います。
モ:なるほど。でも、オランダ行く前は、太田さんは苦しんでいたんですよね。日本の押し付けっていうか「受動的であれ」みたいなことに。
太:そうですね。学校の先生と毎日のようにバチバチにケンカしてて。
モ:あ、でも意見は言ってたんですね、オランダ行く前から。
太:はい、意見はガンガン言ってました。
モ:馴染みやすい素養があったということですね、オランダに。
太:そうですね。意見をガンガン言っていて、それ言うことがダメみたいな風潮が、全然意味が分からなかったっていう感覚でしたね。
モ:多分、ラグ以前に身体ってものがあると思うんですよね。その身体に生まれ落ちた場所のラグが馴染むか馴染まないかは運次第みたいな。
太:そうですね。結局、国境とかも人間が勝手に決めているだけだし、もちろん言語とかで、ある程度の境界みたいなものは確かにあると思うんですけど、自分の肉体というものを本当にミクロレベルもしくは宇宙レベルで考えたら、この地球でどの国境に区切られたところに生まれたとかって、ほとんど関係ないじゃないですか。だから本当に、人によって生まれ落ちたところと合うとか合わないとかは出てきて当然だと思います。それ自体もグラデーションの中にあると思うし。
モ:おもしろいです。
フランスについて
太:フランスは、すごく影響を受けましたね。トータルで4年くらい住んだんですけど、言い尽くせないですね、フランスは。どう言えばいいかなあ。一言でいうと「人生っていうのは最悪で、だからこそ素晴らしいんだ」っていう感覚ですかね。
モ:それを暮らしている人がベーシックな考えとして持っている?
太:うーん。正直すごくカオスな国なんですよ。究極の個人主義の国で、みんな好き勝手言うし、そこにあまりオランダ的な快活な感じはないんですよ。みんな、皮肉屋なんで。嫌なやつ多いし、正直(笑) でも、なんだかんだで、みんな人生楽しんでるんですよ。そういう人生を楽しむためのいろいろなもの、グルメもそうだし、芸術とかもそうですけど、そういうものを彼らは愛しているし、それを守り抜くために命かけるような人たちなんで。そういう拘りの強さみたいなものが、単に「みんなで気持ちよくいればいいよね」みたいな素朴な感じではなくて、もっとある種の露悪的なものも含めた、「悪すらも人生にとっては最高の要素」みたいな、そういう繊細な感覚っていうのは、すごくパリで感じましたね。
モ:みんな、何の宗教を信じてるんですか。
太:それすらもめちゃくちゃ多様です。もちろん基本的なベースはカトリックだと思います。でも、あくまでそれは白人の支配的な宗教っていうだけで、実際はイスラム教もめちゃくちゃあるし、ユダヤ教もあるし、仏教ももちろんあるし、ロシア・セルビア系の正教とかもあるし、ものすごい多様な国なので。モザイク的な感じ。それぞれの人が「究めている」「深めたい」と思っている知識が、もうとんでもないんです。そのへんをふらふらと歩いている通りがかりの人と何かで会話になったら、急にその人がタオイズムの話をしてくるとか。
モ:へー!
太:そういう感じなんです。あとは、どっかで見た何とかって映画が面白かったんだけど、って聞くと、その映画が超マニアックだったりするんですよ。それぞれの人がとんでもないマニアックな宇宙を持っているっていう国。だからこそ、衝突も多いんですけど。でもその衝突がバチバチにあることで、結果的には意外とそれによって冷静でいられるところもあると思う。だから実際、フランスもいろいろな悪事というか、国際社会への影響力がありますけど、アメリカとか今のロシアとかのそういう暴走って意外と少ないんですよ、フランスって。けっこう国内で暴動が起きたりして止まったりしてて、本当に危険な時って。だから、日常的に暴動があることによって、結果的に正気が保たれている。
モ:へー。
太:たくさんのことを感じましたね、いろいろな意味で。だから、自分の中にある、ある種の狂気的な感覚とか、表現に対する究極のこだわりみたいなものは「カナルタ」にも反映されているかもしれないし、そういうところの尋常じゃない熱みたいなものは、けっこうフランスからもらったものが多いかもしれないと思います。
イギリスについて
太:イギリスは、フランスと全然違う国で、隣国なのに。フランスよりもちょっとスマートなんですよ。人に気を遣える人が多いし、なんとなくシステムとして面倒くささが排除されていて、シンプルなところもあって、気持ちいいんですよ。外国人として生きていて、なんとなくエスコートされているような感覚になるんですけど。イギリスから学んだ一番大きいことのひとつは、自分が何か研究や表現に関わっているとして、それをちゃんと社会に還元しないといけないだろうという、ちょっと功利主義的なところがあるんです。
「何かをするってことは、それに何か意味があるんだろう」って。じゃあ、それをちゃんと届ける責任があるよね、って。そういう、社会正義みたいなところがイギリスは強くて。フランスは狂ったアーティストが狂ったまま生きていることが素晴らしいみたいな、ちょっと狂気礼賛みたいな風潮があるんですけど、イギリスはあまりなくて。(イギリスは)「ものを作ったからには、それをちゃんと言語化して、なぜこれを作って、どういう意味があって、あなたたちに届けたいと思っているかを言う義務があるよね」って感じなんですよ。
その辺は、たぶんイギリスで学んだところです。だから、フランスだったら難しい哲学用語を捏ね繰り回して、あとは「これを理解したかったら自分で勉強して」って感じで、ある意味では突き放してしまうところを、(イギリスは)かみ砕いて話したりするんですけど、僕はそれを日本でもけっこうやっているので、それはイギリス的なものかなと思います。
モ:ちょっと優しいんですね。
太:そうですね。僕は「カナルタ」ってものに一切表現としての妥協はしていないし、作品自体を観て「全然意味わかんないし」っていう人が出てきちゃっても仕方ないかなって感じのスタンスで作ってるんですけど、でもそれを「わかんない奴はもういいや」って突き放す気も全然ないですね。その辺の「絶対に譲らないけど、届けるために歩み寄る」という、ある種の矛盾みたいなものはイギリスとフランスの両方から受けたものという感じで、両方大事にしているからっていうのはありますね。
モ:今日、「カナルタ」のレビュー見てたんですよ。70件くらいあるのを全部読んだんですけど。
太:まじすか(笑) Filmarks?
モ:なんだっけな。どのサイトか忘れちゃったんですけど、70件くらいレビュー付いてるサイトのやつ。全部見たんですけど、コメント書くくらいですから、みんな好意的っていうのはあると思うけど、みんな受け取れてますよね。
太:受け取れてますね。めちゃくちゃ嬉しいですね。
モ:しかも、けっこう都市部に住んでるらしき人のコメントもけっこう多くて、(それを見ると)なんか伝わってるんだろうな、って思いましたね。
太:それは思いますね、すごく。
モ:フランスとイギリスの融合技で伝えれたって感じですかね?
太:そうですね。でも、日本の人って、改めて帰ってきて思うんですけど、けっこう境界を気にせずに受け取れる人って多いと思うんです。ヨーロッパだとどうしても、「こういう文脈で、こういう思想のもとにできたもの」って、すごくかっちり決めて、「それを土台に議論します」みたいな、そういう流れが出来がちなんですけど、日本ってそこがちょっとゆるい状態でも一旦投げかけれて、それを雑多な場所から出てきた人たちが普通に受け取って、「ああ、おもしろい」って思ってもらえる土壌がある。それはヨーロッパと全然違うなって思いますし、そこにある意味で、まぁこの話が急にそっちに飛んでいいか分からないですが、ある種のアニミズム的な感覚っていうものがあるのかなって思います。境界が縦割りになっていない。いろいろなものが繋がれるし、雑多なものを雑多なまま受け止められるっていうのはありますね。
モ:様々な国のロジックが太田さんのラグに編み込まれていって、それで、アマゾンのシュアール族を選んだのは、組み立てたロジックを一旦崩したい・解体したい、みたいなことがあって、シャーマンがいるエリアを選んだんですか?
太:選んだというよりは、流れ着いたっていう感じですね。今回のフィールドワーク、「カナルタ」を撮るためのフィールドワークというか研究もそうですけど、音、大丈夫かな?一旦休止しときます?
モ:そうですね。
太田光海(おおた・あきみ)
1989年東京都生まれ。映像作家・文化人類学者。神戸大学国際文化学部、パリ社会科学高等研究院(EHESS)人類学修士課程を経て、マンチェスター大学グラナダ映像人類学センターにて博士号を取得した。パリ時代はモロッコやパリ郊外で人類学的調査を行いながら、共同通信パリ支局でカメラマン兼記者として活動した。この時期、映画の聖地シネマテーク・フランセーズに通いつめ、シャワーのように映像を浴びる。マンチェスター大学では文化人類学とドキュメンタリー映画を掛け合わせた先端手法を学び、アマゾン熱帯雨林での1年間の調査と滞在撮影を経て、初監督作品となる『カナルタ 螺旋状の夢』を発表。また、2021年には写真と映像インスタレーションを用いた個展「Wakan / Soul Is Film」(The 5th Floor)を開催し、さらに熱海で行われた芸術祭「ATAMI ART GRANT」に参加するなど、映画に留まらない領域で表現活動を行う。
文字起こし・校正 酒井雅代
モリテツヤ(もり・てつや)
汽水空港店主。1986年北九州生まれ。インドネシアと千葉で過ごす。2011年に鳥取へ漂着。2015年から汽水空港という本屋を運営するほか、汽水空港ターミナル2と名付けた畑を「食える公園」として、訪れる人全てに実りを開放している。
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「スピらずにスピる」序文
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第1回「神話≒ラグ」を編み直す
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第2回「絵を描くことと信仰」 特別インタビュー 阿部海太さん
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第3回「絵を描くことと信仰」 特別インタビュー 阿部海太さん(後編)
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連載「スピらずにスピる」8月休載のお知らせ
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第4回「カナルタ 螺旋状の夢」監督・太田光海さんに会いに行く(前編)
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第12回「沼田和也牧師との出会い」(後編)
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